100年前、一般の日本人は韓国を見てどんな印象を持ったか?
1929年(昭和4年)に、日本で朝鮮と満洲の視察旅行に行く人たちを集め、選ばれた約200人が現地を訪れ、そこで見聞きしたことを記録に残した。
ある日本人はプサンで汽車に乗り、車窓から広がる景色を眺め、「いよいよ朝鮮に来た」と感じ、その思いをこう書いた。
「洋々たる洛東江の流れ、堆肥の上に簇生したきのこやうな貧弱極まる朝鮮農民の家屋、その家屋に不似合な清楚な姿をして悠々働いてゐる朝鮮人、禿山、ポプラの並木等々。何れも半島特有の風物たらざるはない。」
ソース:「昭和四年の日本人は、朝鮮満洲に何を思ったか? 日本初の民間人団体旅行の紀行文 鮮満十二日 鮮満視察団紀念誌 を原文で読む。(佐藤聡)Kindle 版」
堆肥(たいひ)とは、わらや草、大小便などを腐らせて作った肥料のこと。
この日本人の目には、窓から見えるたくさんの農民の家が、堆肥の上に群がって生えているキノコのように「貧弱極まる」と見えた。
これは侮辱的な表現で、現代なら許されない文章だけど、100年ほど前の人間に令和の価値観や人権意識を求めるのは無理。
日本人の素朴な感想だ。
このころの日本人の感想には、朝鮮について、貧しい家と白くきれいな服を対照的に感じる人が多い。
韓国のお寺
タイムワープして、時代を2024年に移そう。
今日の朝鮮日報に、こんな面白そうなコラムを見つけた。(2024/03/11)
日本が羨む韓国のグリーンベルト【萬物相】
グリーンベルトとは、自然の緑でつくった帯状のゾーンのこと。
1971年に朴正熙(パク・チョンヒ)大統領がソウル郊外に、そんな地帯をつくる指示を出し、「韓国型グリーンベルト」が誕生した。
韓国では、それから50年が経過しても、グリーンベルトは70%以上も維持されている。
しかし、日本は韓国より先にグリーンベルト制度を導入したのに、10年でうやむやになり、「韓国のグリーンベルトを羨ましがっている」と指摘する。
「日本が韓国をうらやんでいる」と言われてましても、日本のネットでは、思い当たることがないと困惑する人が続出中。
・聞いたことないから、羨みようがない
・どこの日本だよ
・流石は大韓
日本はただ指を咥えて見てるだけだ
・いつも通り意味が分からん
・こういうのも投影というのかしら
外国人から話を聞くと、東京には皇居や明治神宮、新宿御苑などがあって、緑が多いという感想を持つ人がよくいる。
しかし、韓国メディアにとっては、細かい事実はあまり重要ではないのだ。
「韓国のグリーンベルト」だけではインパクトが弱いから、韓国の読者はコラムに食いついてくれない。
「日本が羨ましがっている」というフレーズを入れるだけで読者は飛びつくから、韓国メディアの文章にこのスパイスは欠かせない。
「日本人のジェラシー」はさておき、このコラムには、日本人としては見逃せない重要な記述がある。
グリーンベルトを設置しようとした動機について、朴大統領は次のように述べたという。
「朝鮮王朝の500年間で燃料用に木を切り続け、全国がはげ山になった。それでグリーンベルトを設定した」
1910年ごろの朝鮮半島の林野分布図
日本は朝鮮統治をはじめた時期に、最初から植林事業を重視していたことがわかる。
韓国の冬は超絶寒く、時にはマイナス20度に達する。
それで100年前、民衆は冬になると、床下で薪(まき)を燃やして家全体を暖めるオンドルを利用していた。
その薪を手に入れたり、焼き畑のために木を切り倒しまくった結果、日本人がはげ山を見て「朝鮮半島特有の風物」と感じるようになった。
1910年ごろの朝鮮では、木材資源を表す林木蓄積量は1ヘクタールあたり17立方メートルで、2009年の韓国の16.5%水準に過ぎなかった。
このことは聯合ニュースの記事に書いてある。(2009-09-08)
機械翻訳:100年前、私たちの森林
特に朝鮮半島の南部ではげ山が多く、上の日本人が見たのもそんな景色だったはず。
森林がないと、洪水や山崩れなどの自然災害が起こりやすくなる。
そこで朝鮮総督府は植林事業に力を入れた。
造林事業は1911年には約4千町、1152万本だったが1922年までの累計は個人の造林事業などを含めると約36万町、10億本に至ったと報告されている
朝鮮総督を務めた宇垣 一成(かずしげ)
この事業においては、朝鮮総督府の山林課職員として働いていた浅川 巧(1891年 – 1931年)のことを忘れちゃいけない。
浅川の墓地は韓国にあり、追悼碑にはこのように刻まれている。
「韓国の山と民芸を愛し、韓国人の心の中に生きて逝った日本人、ここ韓国の土になる」
ほかにも、山の多さは「国民の幸福である」と述べ、朝鮮の緑化を進めた宇垣 一成もいる。
彼は朝鮮人から、「朝鮮人のために尽くしてくれた唯一の総督」と高く評価されたという。
しかし、残念ながら現代の韓国では、当時の日本の植林事業はほとんど知られていない。
それどころか、「逆転現象」が起きているのだ。
朴大統領が「朝鮮王朝の500年間で燃料用に木を切り続け、全国がはげ山になった」と言ったにもかかわらず、いまでは、日本のせいではげ山になったと主張する人もいる。
韓国人の目には、現在の韓国では、日本人がうらやむほど緑化が進んでいるように見えている。
もし、それが事実なら、100年前と立場が逆転している。先進的で素晴らしいことだ。
あとは、朝鮮半島に緑が戻ったことに、日本の貢献を認めてくれることを願うばかり。
日本統治時代にユン·チホという朝鮮人がいました。彼は日本、アメリカ、中国に留学してきた、当時としてはすごい知識人でした。韓日併合当時、彼は「たとえ異民族による統治だが、国民が近代化された国家で人間らしく生きることができれば、同族に搾取されるよりましだ」と話していました。朝鮮人のユン·チホがそう言うほど、朝鮮は一般国民には希望のない、事実上の地獄のようでした。
何の希望もなかった国、同族が同族を奴婢に使って搾取し、518年を続けてきた国は日本によって「韓日併合」という名で解放されました。当時、韓日併合に反対していたのは既得権を維持してきたごく少数の両班層だけで、ほとんどの朝鮮人は真の自由を求めました。
日本は朝鮮を併合して自国の一部にし、その土地(朝鮮)を近代化させ、国民を近代人にする作業を進めました。もちろん、日本人で作りました。全国に森林を築いたのも、日本が朝鮮を自国と認識したからです。
尹致昊(ユン·チホ)という人は初めて知りました。
貴重な情報をありがとうございます。
日本のウィキペディアには、彼について研究したオランダの大学教授は「尹致昊はまともな評価をされて来なかった」と言います。
「日本や米国のどこでも佐翁先生は民族主義で愛国者だと言われ、彼を親日派だという国は韓国しかない」ということです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%B9%E8%87%B4%E6%98%8A#%E9%80%B8%E8%A9%B1