【一神教 VS 寛容】イギリス人があきれた日本人の信仰心

 

知人のイギリス人(30代・女性)は前々から日本が好きで、来日して英語を教えていた。
彼女が日本に興味を持ったのは「子どもの時に見たセーラームーンが面白かったから!」というものではなくて、日本の歴史や文化に魅力を感じたから。
実際に日本へ来てみると、日本人にも好印象を持った。
日本人は礼儀正しく、マナーを守って行動するから、日本人に「イギリスは紳士の国ですね」と言われると苦笑いを浮かべるしかない。

それでも、日本人の考え方や行動で不快に感じる部分もある。
たとえば、無節操な信仰だ。
日本人はよく自分は無宗教だと言う。
そのイギリス人と夫も無宗教の人間だから、その考え方が分かるからこそ、共感できないコトがある。
彼女たちは特定の宗教を信じていないから、教会で結婚式を挙げることは控えて、役所に行って婚姻の手続きをした。それで終了。

もし、自分たちが無宗教と考えているのなら、役所で事務手続きを済ませるだけで十分のはず。
なのに、日本人は無宗教でキリスト教徒でもないのに、教会へ行って神父に結婚式を挙げてもらう。
イギリス人の彼女からすると、それはキリスト教に対してとても失礼なことだと思うのだけど、日本人にとってはそれが常識で、ためらいなんて感じない。
そもそも、結婚式のやり方をキリスト教・神道・仏教などの中から、自分たちで自由に選択できるというスタイルに違和感をおぼえるという。

 

この批判はきっと正しい。
たしかに、日本人は宗教に対する節操や敬意が足りないが、それに乗っかる欧米人がいることも事実だ。
日本で無神論者のアメリカ人やフランス人が、結婚式で「アルバイト神父」になって、かなり良い時給をもらっていることもあるのだから。
日本ではデタラメとデタラメで、ウィン・ウィンの関係が成立しているのだ。

 

どっかの国際空港で見たお祈りルーム
イスラム教、仏教、キリスト教に分かれている。

 

3月23日は1585年に、 天正遣欧少年使節がローマ教皇グレゴリウス13世に謁見した日。
そして江戸幕府が1633年に、許可証を持った奉書船以外の船が海外へ行くことを禁止した日でもある。
戦国時代の末期はわりと気軽に海外へ行くことができたのに、江戸時代の初期になると一変し、強固な「鎖国」体制が構築されたことがわかる。
約50年間で、日本の外交政策は激変したのだ。
といっても、江戸時代にはオランダと貿易をしていたのだから、日本は外国をすべてシャットアウトしたわけではない。

キリスト教が伝わった当初、日本人はこの新しい教えを歓迎した。
しかし、キリスト教が広がっていくと各地でトラブルが発生し、日本人は自分たちの価値観と合わないことがわかり、反感を強めていく。
1587年になると、ついに豊臣秀吉が「宣教師は日本から出ていきやがれ!」とバテレン追放令を出す。江戸幕府も1612年と1613年に「禁教令」を発令したころから、日本はキリスト教追放にホンキを出していく。
当時の日本人がキリスト教を嫌った理由には、この宗教が独善的で神道や仏教を攻撃すること、植民政策の手先であったこと、日本の法を守らず社会の秩序を破壊したことなどがある。

 

日本人が宗教に対して寛容であったことは、幕末に来日して開国を要求したペリーも注目し、
「この国の社会制度の中で宗教に対する寛容性ほど顕著なものはない」と日記に書いた。
それを示す例として、ペリーの日記にはこんな話が記されている。

戦国時代末期にキリスト教が伝わると、仏教僧たちはこれを嫌い、皇帝に宣教師を日本から追放することを求めた。
すると皇帝は、いま日本にどれだけの宗教があるのか僧たちに尋ねる。
僧が「35です」と答えると、皇帝は35あるのなら、36の宗教を受け入れられないはずはないと答えた。

この「皇帝」とは誰のことか不明で、この話の内容が100%正しいかはわからない。
でも、キリスト教が伝来した時、日本人は「ありがたい教えが増えた」と喜んだことは事実。
しかし、キリスト教はほかの宗教と平和共存することはできず、日本から消えていった。
日本人にとって宗教は選択肢の一つで、「オンリーワン」ではない。
だから、「信じる神はひとつだけ」という一神教の価値観には排他的な独善性を感じ、受け入れることはできなかった。

現代の日本人にとっては、結婚式のやり方として仏教、神道、キリスト教のほかに、イスラム教やゾロアスター教、シク教などが加わったとしても問題はない。それどころか、選択肢が増えて喜ぶ人もいると思う。戦国時代に、キリスト教を歓迎した日本人のように。
知人のイギリス人は、「キリスト教徒なら教会で結婚式を挙げて、無宗教なら役所で手続きをするだけでいい」と考えていた。
こういう二者択一はおそらく一神教的な厳しい見方で、宗教に寛容な日本人の価値観には合わない。
日本人の信仰心からすると、自由に宗教を選べる環境が重要なのだ。

 

 

宗教 「目次」

鬼門の意味って何だ?不吉な方角が「東北」である理由とは?

【神仏習合】外国人が驚く、日本人の“あたりまえ信仰”

【悪霊退散】日本人も欧米人も恐怖は同じ。でも方法は違う

【偶像崇拝】図工に雪だるま、日本人とイスラム教徒の違い

アメリカ社会のキリスト教信仰:中絶は”殺人”か”権利”か?

 

1 個のコメント

  • > 知人のイギリス人は、「キリスト教徒なら教会で結婚式を挙げて、無宗教なら役所で手続きをするだけでいい」と考えていた。
    > こういう二者択一はおそらく一神教的な厳しい見方で、・・・

    西ヨーロッパの一部の人達がそのような感覚を抱いていることは私も知っています。でもそれは、「厳しい」というより、「狭小な」考え方だと思いますね。彼らのそういう考え方「キリスト教徒か無神論かの二者択一こそ人間のあるべき姿」には、それと異なる宗教観を持つ人々への「差別感覚」さえ感じます。

    世界の多くの人間にとって、宗教とは必要な文化(?)なのでしょう。ですが、あまり一つの宗教にこだわり過ぎて「1か0か?」を求めるのでは、争いを招く原因になります。
    日本人のように、どの宗教にも入れ込み過ぎず、寛容に、テキトーに、必要だったら自分の生活に取り込んでしまう、そんな「使い方」「付き合い方」で充分じゃないですか? それこそが、社会に宗教的対立を招かずにいられる「賢い秘訣」ですよ。
    多くの宗教に対して、完全ではないだろうが、「少しずつの敬意」を払ったっていいじゃないですか。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。