【幕府 vs ペリー】法律で禁止されてる? ならば武力で…

 

日本人は法やルールをよく守るけど、たまにそれが行き過ぎる。
最近、そんなことを実感させるニュースを見た。

日本全体で消防団員が減っている中、埼玉県に住んでいるウクライナ人が「災害時にみなさんを助けたい」という思いから、消防団のメンバーになった。
しかし、そんな彼女が直面したのは法律の壁。
消防団員は非常勤の公務員で、災害現場での障害物の撤去などは「公権力の行使」に当たるため、外国人に許可されていない。
救助活動でジャマになるものを片付けることぐらいいいのでは? と思うのだけど。
法を守ると、住民の安全を守れなくなるというのは何かヘン。

日本人は法律やルールをきっちり守るし、他人にもそれを求めるから、外国人がイライラすることもある。
約160年前に来日したペリーも、そんな「日本人の壁」にぶつかった。

 

黒船のひとつ「サラトガ」

 

1853年、ペリー率いる4隻の黒船が、江戸湾の入り口にあたる浦賀に現れた。
ペリーとしては、開国を求める大統領の新書を将軍に渡したいと考えていたのだけど、「鎖国」を続けていた日本はそれを嫌がる。
しかし、当時の日本の立場は変わりつつあった。
1840年のアヘン戦争で清が敗北して領土を失い、多額の賠償金を支払うことになったことに日本は大きな衝撃を受け、欧米とはできるだけ戦わないように方針を変更した。
そんな状況でペリーが登場し、幕府との「戦い(駆け引き)」がはじまる。

 

幕府は、黒船の上陸は絶対に認められなかったから、副奉行を派遣し、黒船の上で交渉しようと考えた。が、ペリーは米艦隊の司令長官であり、浦賀にいる最高位の役人(=奉行)としか話をするつもりはないとその案を拒否。
ちなみに、このとき幕府側は「副奉行」と言っていたが、実際にはこの役人の身分は副奉行よりも下だった。つまり、幕府はウソをついていたのだ。

「なんで浦賀の奉行が来ないのか?」とペリーがたずねると、幕府の役人は「法律により投錨中の艦船に乗船することを禁じられている」と返答する。
(奉行が海上で停泊している船に乗ることはできない、というのも何かウソっぽい。)
ペリーが「副奉行」の乗船を拒否すると、幕府側は「日本の法律によれば異国との交渉の場は長崎のみであり、艦隊は長崎に回航しなければならない」と言う。
しかし、ペリーはこの要求も拒否した。

結局、奉行がやってきて乗船し、アメリカ側と交渉をはじめた。
しかし、この「奉行」とは、実際には格下の与力だった。日本はまた、ウソをついたことになる。
奉行(のニセモノ)は、

「日本の法律では大統領の親書を浦賀で受け取ることができず、たとえ浦賀で受け取ったにしても、返答は長崎に送られることになる」

と言い、艦隊は長崎に向かうべきだと主張した。

それに対してペリーは、「あくまでもいま自分がいるこの地で親書を手渡したい」と拒否し、それができないのなら、どんな結果になろうとも武力でもって上陸し、自分が直接日本の皇帝(将軍)へ渡しに行くだろうと迫り、武力衝突をにおわせた。

このとき将軍・徳川 家慶(いえよし)は重い病気にかかっていて、まともに判断できる状況になかった。
(彼はペリーが浦賀から出る前に死んでしまう。)
そのため、老中のトップ(首座)だった阿部正弘(あべ まさひろ)が「国書を受け取るぐらいは仕方ない」と受け入れ、ペリーらが久里浜へ上陸することを認める。
そして、浦賀奉行の戸田氏栄(うじよし)と旗本の井戸弘道がペリーと会見を行った。
もちろんこの奉行はガチ。(黒船来航
ペリーは大統領の親書を渡してアメリカへ戻り、翌1854年に再びやって来て、日米和親条約を結んだ。
こうして日本の鎖国は終わった。

参考:「ペリー提督日本遠征記 (角川ソフィア文庫) M・C・ペリー; F・L・ホークス」

 

この日米交渉を全体的に見ると、幕府の「法律で禁止されているからダメです作戦」は、ペリーの武力を背景とした強い態度と脅迫によって粉砕され、日本は開国を決断した(させられた)ようだ。
しかし、ペリーは「流血の惨事なしに成功するよう神に祈る」と言っていたから、内心ではかなりドキドキしていたと思われる。

 

 

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2 件のコメント

  • > しかし、ペリーは「流血の惨事なしに成功するよう神に祈る」と言っていたから、内心ではかなりドキドキしていたと思われる。

    おそらく、その通りでしょうね。
    交渉の場へ出て来ようともしない奉行たちに代わって、偽りの身分を与えられた上で、異人の巨船へと乗り込んでくるような人です。万一ウソがばれたり、交渉が決裂した時のことを思うと、当人は決死の覚悟であったでしょう。下っ端役人とは言え、刀を差したサムライが周囲へ発するその「殺気」は、ペリー提督にも十分に伝わっていただろうと思います。

  • 数では圧倒的に幕府軍の方が多かったですからね。
    対決になったら、ペリー側もタダでは済みません。
    まぁ、結果オーライですけど。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。