ウィーン万博がきっかけで、日本の博物館の歴史がはじまる

 

だらしなくて汚らしいことを日本語で「むさ苦しい」と言う。
古代ギリシア神話に出てくるムーサはその反対で、学問や芸術の女神を意味し、そんな女神たちを祀る神殿はムーセイオンと呼ばれた。
ムーサを英語読みにすると「ミューズ」となり、ムーセイオンが英語の「ミュージアム」の由来となる。
そして、幕末の日本人がそれを「博物館」と訳した。

ミュージアムの由来と、それを「博物館」と訳した日本人

 

日本の博物館の歴史は1872年にはじまる。
この年の4月、文部省の博物局が東京にあった湯島聖堂を「文部省博物館」として、博覧会を開催した。
ここでクエスチョン。
明治5年に日本政府が全国から集めて披露したお宝は何か?

この時には、オオサンショウウオ、古銭、古鏡、動物や昆虫の標本など今でも日本の博物館で見られそうなものから、加藤清正の槍や源義経の袴(はかま)、千利休の杓子(しゃくし)といった激レアアイテムなど約800点が展示された。

湯島聖堂は江戸時代には昌平坂学問所があったところで、この文部省博物館が後に東京国立博物館となった。
奈良時代の聖武天皇の遺品などを収めた正倉院を「日本の博物館のはじまり」とする説もあるけれど、現代の日本人がイメージする博物館は「湯島聖堂博覧会」がスタートポイントになったとみていい。
では、このハジマリはどうやってはじまったのか?

 

湯島聖堂博覧会で使われた観覧券・広告・預り証書
きっとこれが日本最古の博物館のチケット。

 

明治時代、福沢諭吉が『西洋事情』でこんな文を書いた。

「西洋ノ大都会ニハ数年毎二産物ノ大会ヲ設ケ世界中二布告シテ各々其国ノ名産便利ノ器
械、古物奇品ヲ集メ万国ノ人二示スコトアリ之ヲ博覧会ト称ス・・・」

西洋の大都会で数年おきに開催する世界的なイベントで、各国が先進的な機械や珍しいものなどを持ち寄って人びとに見せる。
これは、現代の日本でいう「万博(万国博覧会)」のこと。

日本政府が初めて公式に参加した万博は、1873年にオーストリアで開催されたウィーン万国博覧会だ。
日本は外国人のアドバイスもあり、日本庭園や白木の鳥居、神社、反り橋といった構造物のほか、浮世絵や工芸品などの作品を展示し、世界に日本らしさをアピールした。
これらは西洋人に好評で、前々から西洋世界あった日本文化への関心(ジャポニスム)はマシマシになる。

 

その前年、1872年に日本政府は「わが国もウィーン万博に参加します!」と全国に知らせ、各府県に「ついては、立派な品を選んで東京へ持ってくるように」と指示をだす。
こうして全国から次々と貴重品や珍品が集まると、それらを庶民に公開することが決まり、日本初の博覧会である湯島聖堂博覧会が開催された。
湯島聖堂博覧会で展示されたお宝の中から、日本を代表するにふさわしいと選ばれた品々が海をわたってウィーンへ運ばれた。

国家のメンツをかけて臨んだウィーン万国博覧会と、そのプレオープン的なイベント・湯島聖堂博覧会で活躍した人物が町田 久成(ひさなり)って人。
彼はイギリスに留学していたころ、1867年にパリ万国博覧会に参加して世界を知り、帰国後に日本初の博物館を創設する計画を立てた。
ウィーン万博が終わって日本に持ち帰ってきたものや、湯島聖堂博覧会で集められた品々を収めたところが、後に東京国立博物館となる。
初代館長は町田 久成が務めた。

 

 

湯島聖堂博覧会で庶民が名古屋城のシャチホコを見て、わかりやすく驚いている。
それがウィーン万博でも展示された。
見た感じ、西洋の人たちは落ち着いている。

 

 

僧侶となった町田 久成

 

では最後に、日本の博物館の父と呼んでもいい、町田 久成のエピソードを紹介しよう。
彼はかなりキャラが立っている。
町田は東京帝室博物館(後の東京国立博物館)の初代館長を辞めた後、出家してお坊さんになった。
*以下、セリフは想像。

明治天皇の銀婚式(結婚して25年目のお祝い)が行われることになり、町田は天皇に近い子爵の杉 孫七郎から、「ぜひ参加してください!」と頼まれた。
このとき町田はすでに出家していて、貧民も同然の姿で皇居に向かうと、門のところで警備の人間にあやしまれ、「おいコラ、ここをどこだと思っている! 帰れ帰れ!」と止められた。
すると町田は「まったくその通りだ。自分のような乞食坊主がこんな尊い式典に参加するべきではない」と納得し、引き返そうとした。
そこへ杉が猛スピードでやってきて、「町田さん! そういうイタズラはやめてください!」と言って町田を中へ案内したという。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。