戦争末期、フィリピンのジャングルで日本人が見た地獄

 

1945年8月15日、日本はアメリカに降伏して戦争が終わった。
それから79年後の今日、日本武道館で全国戦没者追悼式が開かれ、天皇陛下は、

「過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」

とお言葉を述べられ、岸田首相は、

「平和と繁栄は、戦没者の皆様の尊い命と、苦難の歴史の上に築かれたものであることを、私たちは片時たりとも忘れません」

と語った。
ということで、今回はあの戦争について改めて考えてみよう。

 

イギリスの世界的な歴史家、アーノルド・トインビー(1889年 – 1975年)は太平洋戦争についてこんな見解を示した。(大東亜戦争(太平洋戦争)に対する評価

「アジア・アフリカを200年の長きにわたって支配してきた西洋人は、あたかも神のような存在だと信じられてきたが、日本人は実際にはそうでなかったことを、人類の面前で証明した。これはまさに歴史的な偉業であった。…日本は白人のアジア侵略を止めるどころか、帝国主義、植民地主義、人種差別に終止符を打ってしまったのである」

もちろん、これはトインビー個人の評価で、海外でこの見方が一般的であることはない。当時、西洋人はアジアやアフリカでひどいことをしたけれど、日本も戦争で残酷なことをしたと考える人が多い。
特に、韓国の歴史認識からしたら、トインビーの意見は絶対に受け入れられず、このイギリス人はきっと「極右」や「歴史修正主義者」と非難される。
約310万人の日本人が犠牲になったことを思えば、先の対戦を「歴史的な偉業」とたたえる気にはなれず、やっぱり「深い反省」が必要だ。
あの戦争については体験した人がよく知っている。
これから、そんな1人の実感を紹介しよう。

 

太平洋戦争の末期、フィリピンのジャングルで日本軍と行動をともにしていた小松真一氏が現地で体験したことを記録に残し、彼の死後、それは『虜人日記』として出版された。
小松氏は平地で日常生活を送っていたころは、性悪説を聞いても信じなかったが、ジャングルで日本兵がしたことを見たり聞いたりして、考えが変わったと書いている。

山の生活で各人が生きる為には性格も一変して他人の事等一切かまわず、戦友も殺しその肉まで食べるという様なところまで見せつけられた。そして殺人、強盗等あらゆる非人間的な行為を平気でやる様になり良心の苛責さえないようになった。こんな現実を見るにつけ聞くにつけ、人間必ずしも性善にあらずという感を深めた。

 

戦況は劣勢になり、食べる物がなくなって困難な生活が続くと、人間の「素の部分」が出てくる。その醜悪なところを見ると、性悪説を支持する気持ちが生まれるという。
あの戦争を外から眺めれば、アジア人が西洋人と正面から戦って追い出し、植民地主義や人種差別に終止符を打ったとする評価もあるが、内部はこんなムゴイ状態だったのだ。
小松氏が「歴史的な偉業」と聞いたらどう感じるのか。

 

現代の日本人が80年前の日本人よりも道徳心が高く、民度が向上しているとは思えない。むしろ、メディアの報道では日本人のマナーは低下しているとよく聞く。
令和の日本人に比べれば、昭和の日本人のほうが自制心や忍耐は強かったと思う。
今でも、何かのきっかけで食料が無くなって飢餓状態におちいれば、同じ日本人を殺して物を奪ったり、その肉を食べたりする地獄絵図が現実になる。
オリンピックでスタジアムの掃除をして世界中から称賛される日本人でも、極限状態になれば自分が生き残ることだけを考え、平気で殺人や強盗をする「ケダモノ」になる。この実感は、小松氏と同じレベルの地獄を体験した人でないとわからない。
そもそもそんな思いなんてする必要がないから、戦争の悲劇が繰り返されないことを願うしかない。

 

 

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2 件のコメント

  • > ・・・とする評価もあるが、内部はこんなムゴイ状態だったのだ。
    小松氏は、海外における全ての日本軍の状況を調べたわけではないから、この表現は正しくありません。「~という状態の部隊もあった」とすへきでしょう。
    「a~」「some~」「every~」を区別しない(できない)のは日本語の欠点ですが、英語表現を見習って、できる限り誤解されないような表現を志向して欲しいものです。特に今後、ジャーナリストや研究者を目指す若い人たちには。

    > 小松氏が「歴史的な偉業」と聞いたらどう感じるのか。
    帰国してからの小松氏は、戦時中の自分の経験・技術を活かして実業家として活躍しています。そんな小松氏であれば、「なるほど、そのような自己分析ができるとはさすが欧米だ、これでは勝てるはずがない」とでも考えたのではないでしょうか。

    > 現代の日本人が80年前の日本人よりも道徳心が高く、民度が向上しているとは思えない。
    本当にそうでしょうか? 日本人のマナーが昔に比べて向上したか低下したかは、どのような点をもって評価するかによるのでは。たとえば(私も含めて)昔はタバコの吸殻を道端に平気でポイ捨てする人も多かったし、酔っ払うとその辺の路地で立ち小●することもしばしばでした。電車に乗るのにきちんと並ぶ人も少なくて、押し合いへし合いしていたような状況もありました。

    > 令和の日本人に比べれば、昭和の日本人のほうが自制心や忍耐は強かったと思う。
    それも疑問です。自制心や忍耐が強かったのではなく、社会が今ほど豊かではなく皆が貧しかったので、自制心をもって忍耐せざるを得なかっただけでは? もちろん自分も含めてですが。

    > 戦争の悲劇が繰り返されないことを願うしかない。
    私は「願うしかない」とは思いません。戦争の悲劇が繰り返されないためにできることは他にもあります。日本人が、ウクライナやパレスチナの人々と同じ悲劇に合わないようにするためには、「外交問題を武力に頼らず解決していくこと」「他国からの侵略を受けないように、そのような誘惑を招かないように、防衛力を強化すること」「集団安全保障体制の構築・維持と周辺地域の安定に貢献すること」「資源及び食料確保の観点から自由貿易体制を堅持すること」などが重要だと思います。

  • 戦争の末期、太平洋上の島々では玉砕がつづき、ある意味、捕虜となった小松氏はラッキーでした。この当時の日本軍で、衣食住に恵まれた部隊はなかったでしょう。
    タバコのポイ捨ては現在では法律違反になりますし、喫煙者も減りました。マナーやルールを守ることと道徳も違います。
    昭和に比べ、令和の日本人の方が自制心や忍耐が強くなったという話を聞いたことがありません。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。