男と男、女と女が恋愛関係になることは、21世紀のいまでは珍しいことではなくなったが、人間と飛行機が恋仲になると世界的なニュースになる。
イギリスの大衆紙『デイリー・メール』がこんな記事を掲載した。(11 September 2024)
Woman in a sexual relationship with an AEROPLANE for nine years says she has finally broken up with it ‘but we’re still friends’
20代のドイツ人女性が旅客機のボーイング737に恋をして、9年間つき合っていたけれど、ついに破局した。しかし、彼女は今でもボーイング737とは「良い友人」だと語るーー。
この女性はボーイング737について、「とても魅力的でセクシー。最も美しく造られていてエレガント」と語り、「ダーリン」と呼んでいたという。
「sexual relationship(性的な関係)」というのは、彼女が実物のボーイング737にキスをしたり、ベッドで模型を抱いて眠ったりする“つき合い”を指している。
そんな彼女は以前、「objectophile(オブジェクトフィリア)」と診断された。
これは、人が生命のない「物質」に恋愛感情を抱くことで、精神科医によると性的嗜好の障害(disorder)になる。しかし、本人が苦痛を感じないかぎり、治療する必要はない。
日本の民族宗教である神道では、石・木・滝といった自然物には「神」が宿るという考え方があり、日本人はそれらを「ご神体」と呼んで古代から崇拝の対象にしてきた。
これを恋愛対象として感じるとオブジェクトフィリアになる。
キリスト教・イスラム教・ユダヤ教のいわゆる「アブラハムの宗教」では、大きな木や石に神や魂が宿っていると信じ、そのために神社などの建物をつくって崇拝することはない。
キリスト教やイスラム教の一神教の世界から見ると、これが神道の大きな特徴になっている。
英語版ウィキペディアで「Shinto」の項目を見ると、神社の中にはカミが宿るご神体と呼ばれるものが置かれていて、それにはよく鏡、刀、石などがあるという説明がある。
objects inhabited by the kami that are placed in the shrine are known as go-shintai. Objects commonly chosen for this purpose include mirrors, swords, stones, beads, and inscribed tablets.
ご神体は神社の参拝者に見られないように隠されていて、神職でさえもその姿を知らないこともあるという。
「kami」や「go-shintai」は神道の独特の概念だから、日本語がそのまま英語表記されている。
ちなみに、日本で「カミ」は古代から崇拝されていて、弥生時代には形がなく、目に見えない存在とされていたが、後に仏教の影響を受けると、「カミ」は擬人化されて描かれるようになったらしい。
でも、現在の神社で神像を見る機会は少ない。
イスラム教の礼拝所(モスク)には、壁の中でこんなふうに凹んでいる部分がある。
これはミフラーブと呼ばれるもので、聖地メッカの方向を示しているから、信者はそこへ頭を向けて祈りを捧げる。
日本の神社に例えるなら、偶像が禁止されているイスラム教ではミフラーブがご神体のような最も重要な要素になっている。
日本では古代から、モノには魂や神が宿るという神道の考え方があって、今では常識になっているから、それを全否定するイスラム教徒とつき合う際には問題が発生することもある。
その軽いケースとして、こんなことがあった。
日本の大学に留学していたイスラム教徒の女子学生が、友人の日本人から、かわいい動物のぬいぐるみをプレゼントされた。彼女は「ありがとう」と受け取ったけれど、後でそれを外国人の友人へあげてしまった。
ぬいぐるみを部屋に飾ると、イスラム教で禁止されている偶像崇拝になるかもしれないから、それはしたくなかったらしい。
トルコはヨーロッパとアジアの境界線上にあって、国民の95%以上がイスラム教徒だから、社会的にはイスラムの影響がとても強い。
そんな国からやってきて、日本の会社で働いていた女性と話をしていると、「自分も神道的な考え方の影響を受けた」と苦笑いをする。彼女はイスラム教を信じてはいないが、その影響を受けて育ってきた。
そのトルコ人が入社したころ、日本人の同僚や先輩がパソコンやエアコンなどを「この子」と呼んで、何か不具合が起こると、「この子、きょうは調子が悪いみたい」などと言っていたから、彼女は違和感と興味をおぼえた。
機械を自分の子どものように考える発想は、イスラム教的にはおかしいけれど、「この子」という響きはかわいらしい。
そこで働いて1年がたったころ、自分もアパートの部屋にある冷蔵庫や洗濯機を「この子」と呼ぶようになっていた。そして、そう呼んでいるうちに愛着も感じて、モノがただの物質とは思えなくなった。
これは、トルコにいた時には想像できなかった変化で、自分がいつの間にかそうなったことにビックリしたらしい。
彼女は、日本人が機械を擬人化する発想は神道の考え方に由来すると思い、「私も知らない間に影響を受けていた」と笑って話していた。
この国に住んでいると、自然と「日本人化」する外国人もいる。
【日本人とイスラム教徒】インシャアッラーという“不幸フラグ”
> 自分もアパートの部屋にある冷蔵庫や洗濯機を「この子」と呼ぶようになっていた。そして、そう呼んでいるうちに愛着も感じて、モノがただの物質とは思えなくなった。
なるほど。私は日本人なのですが、若い人たちが使っているその言い方が理解できずにいました。モノには魂や神が宿るという、日本人の伝統的宗教・価値観に基づく考え方だったのですね。納得です。
こういうことは違う文化圏の人から見ると、気づきやすいと思います。