フェートン号事件 幕末の日本人を“イギリス嫌い”にさせた件

 

イギリスには「恋愛と戦争では手段を選ばない」という言葉があるが、この考え方は名誉を重んじ、恥を嫌った武士道と反する。

1808年のきょう10月4日、長崎港にオランダの国旗を掲げた船が入ってきた。
いつものように、出島のオランダ商館から館員が小舟に乗って出迎え、「お疲れでーす。ようこそ日本へ」と笑顔であいさつをすると、相手も「出迎えご苦労さまでーす」と応えるはずだったのに、突然2人の商館員は捕らえられ、無理やり船に連れて行かれた。
こうしてフェートン号事件は始まった。

これはオランダ船のフリをしたイギリスの軍艦フェートン号で、商館員2人を人質にとるとオランダ国旗を下げ、イギリス国旗を掲げて正体を表す。
これを知った長崎奉行は人質を救出しようとしたが、フェートン号は大砲や銃で武装していたため、うかつに手を出すことができなかった。しかも、警衛に当たっていた佐賀藩がそれまで何事もなかったため、すっかり平和ボケしてしまって、経費削減のために勝手に兵員を減らしていたから、この事態を解決するには兵力も不足していた。

 

長崎でこんな事態が発生した原因は、当時のヨーロッパで起こったナポレオン戦争にある。
オランダは1783年に戦争に負けてフランスの属国となり、オランダ統領のウィレム5世はイギリスへ亡命。
これによってオランダ本国と海外の植民地はフランスのものとなる。
当時、フランスと敵対していたイギリスはウィレム5世の要望もあって、オランダの海外勢力圏を奪っていった。イギリス軍の艦隊はアジアの海域でオランダ船を見つけては攻撃し、船を捕獲した。
その延長でフェートン号が長崎にやってきて、オランダ国旗を掲げてだまして、オランダに攻撃を仕掛けたのだ。

 

フェートン号

 

フェートン号は人質の1人を解放すると、燃料となる薪(まき)、水、食料を要求し、もし日本側がそれを拒否するなら、港内の船を焼き払うぞと脅迫した。長崎奉行は激怒したが、フェートン号と戦うことはできず、要求に応じて水と飲料水を与えた。オランダ商館も豚と牛を送った。
すると、フェートン号はもう1人の人質も釈放して長崎から去って行った。
これは約2週間の出来事だ。

幕末の日本へやってきて開国を要求したアメリカの軍人ペリーは、この事件について日記に「日本以外の国でなら小賢しい策略として一笑に付されただろう」と書いた。
結果的には戦闘は起こらず、死者もけが人もなく、日本とオランダ側は薪と水、それと米や肉などを渡しただけで、損害はゼロも同然。
血を流さずに解決したから、西洋人の考え方なら「イギリスの野郎、くだらないことをしやがって」と苦笑いして終わったかもしれないが、誇り高いサムライはそうはいかない。

イギリス船が日本の法を破って侵入し、理不尽な要求に応じたことで、長崎奉行の松平康英は国を辱(はずかし)めたと考え、責任をとって切腹した。また、勝手に兵力を減らしていた鍋島藩の家老らも同じく腹を切った。
さらに幕府は鍋島藩に対し、十分な警備をしていなかったという理由で、罰として藩主の鍋島斉直に100日間の謹慎(閉門)を命じた。
フェートン号事件が日本人に与えた影響について、ペリーの日記には、

「不幸な結末と、イギリス人に対する強い偏見をもたらし、それは今日でもなお苦い感情とともに日本人の記憶に残っているのである」

と書かれている。
フェートン号事件が日本人に与えた影響について、ペリーの日記には、

「不幸な結末と、イギリス人に対する強い偏見をもたらし、それは今日でもなお苦い感情とともに日本人の記憶に残っているのである」

と書かれている。

イギリスには「恋愛と戦争では手段を選ばない(All’s fair in love and war)」という言葉がある。恋や戦争で勝つためには、どんな方法でも正当化されるということで、フェートン号事件は目的のためなら手段を選ばない、イギリス人らしい“だまし討ち”といえる。
しかし、江戸時代の武士にとっては、人をあざむくやり方は許せなかっただろうし、それで何人もが切腹に追い込まれたことに怒り心頭だったと思われる。卑怯なことをしたイギリスを嫌いになるのも当然。
この事件で幕府の外国に対する不信感や警戒心はマックスになり、1825年に、異国船を見つけたら有無を言わせず大砲をぶっ放して追い払う「異国船打払令」が発令された。
ヨーロッパでナポレオン戦争が起きて、何の関係もない日本人が巻き込まれたのがフェートン号事件だ。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。