ギロチン処刑が「フランス革命の理想」を象徴している理由

 

ことしの夏に行われたパリ・オリンピックの開会式で、日本のネットでは「マリー・アントワネット」がトレンド入りした。
その理由はこの中で、赤いドレスを着た首のない若い女性が登場して、手に持っていた生首が口をパクパクするショッキングな演出があったから。
そのシーンのあった建物は、マリー・アントワネットが投獄されたコンシェルジュリーだったことを考えると、この女性の「元ネタ」はフランス革命で処刑された悲劇の王妃であることは間違いない。
その後、赤い煙や赤い紙テープがブワッと乱れ飛んで、建物が赤く染められるのを見て、切断された王妃の首から血しぶきが飛ぶ様子を連想した人も多かったのでは?
著作権の関係で写真を載せることはできないので、画像を検索して見てほしい。首の断面に白い骨が見えて、かなり生々しい。
このシーンを見て、「東京五輪で比叡山焼き討ちをネタにするようなもの?」とSNSでコメントした人もいた。それはかなり違うけれど、日本の歴史ではフランス革命のように、市民が王と王妃を処刑するような出来事は一度もなかったから、仕方ない。

 

ギロチンで処刑される王妃マリー・アントワネット

 

1793年のきょう10月16日は、マリー・アントワネットがギロチンで首をはねられた日。
マリー・アントワネットといえば、「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」というパワーワードが有名だ。
パンが無くなり、生活苦におちいったパリの民衆が抗議デモをしていることを知って、彼女はそう言い放ったという話があるけど、実際には、マリー・アントワネットはそんなことを言っていない。
「世間知らずの上級国民」というキャラ設定としては、これは最上級のセリフだから、いまでも世界中で使われている。
この言葉は誤解だとしても、マリー・アントワネットが人生で最後に言った言葉は、「ごめんなさい。わざとではないのよ」だったのは確からしい。
彼女が処刑台に上がって首を切断される直前、誤って処刑人の足を踏んでしまい、「ごめんなさい、ムッシュー。わざとではないのよ」と謝罪したという。
これは都市伝説ではなく、事実とされている。

ちなみに、同じ年の1月21日に処刑された夫、ルイ16世の最後の言葉はこんなものだった。

「私は無罪だ。 しかし私は敵を許そう。 願わくは、私の血がフランス人の幸福の礎石となり、神の怒りをなだめるように」

16世は演説中にこう言ったところで、「だまれ!」と中断させられ、ギロチンで首をはねられた。

 

1649年に革命で処刑された英国王チャールズ1世
処刑人がオノを持ち、王の首からは鮮血が吹き出している。

 

フランス革命を象徴する処刑具のギロチンは、人間のやさしさから生まれた。
このころフランスでは、人権を尊重しようとする考え方が発達していて、医師で議員だったギヨタンが重罪人を処刑するのはやむを得ないとしても、できるだけ苦痛を味わわないで一瞬であの世へ送れるように、ギロチンの使用を議会で提案し、1792年にそれが正式に処刑道具として認められた。
*ギロチンという名称は彼に由来する。
それまでフランスで行われていた処刑は身分によってやり方が違っていて、貴族などは斬首、平民や女性は縛り首にされた。どちらも「手作業」だったから、ギロチンという機械的な方法の導入は革命的だ。
当時はオノで首を切断していて、これには「ガチャ」があった。
高度なテクを持つ処刑人なら、一撃で終わったが、それのない処刑人だと、相手の首を2回以上もオノでたたきつけたから、囚人が味わう苦痛はすさまじいものだった。

こうした残酷なやり方ではなく、大きく重い刃物が一瞬で首をはねるギロチンが「人道的な方法」として採用された。処刑後、首をさらして国民に見せることは、支配者の権威を示す有効な方法でもあった。
それを開発している最中、ルイ16世が刃の形を斜めにすれば、どんな首でもすぐに切断できるとアドバイスをしたという説がある。彼は絶妙な死亡フラグを立てたことになる。

 

1789年のフランス革命は、民衆が国王や貴族などの特権階級を否定し、フランス社会にはびこっていた身分制度を破壊して、国民一人ひとりが平等な立場で主権を持つ社会につくりかえた。(実際には、こんな言葉どおり理想的にはいかなかったが。)

フランス革命で絶対王政が倒され、市民が国の主役となる。
自由と平等、国民の権利などが尊重され、その理念が1789年に人権宣言(人間と市民の権利の宣言)として具体化された。
そんな美しい理想を象徴するものがギロチンだ。
階級に関係なく、どんな人間も同じ方法で処刑されることは、法の下での死の平等、実証可能な革命の正義、貴族と平民で異なる処刑方法を採用していたアンシャン・レジーム(特権階級が支配する旧体制)の破壊を意味した。
ギロチンはそんな理想のシンボルとされた。

the guillotine symbolized revolutionary ideals: equality in death equivalent to equality before the law; open and demonstrable revolutionary justice; and the destruction of privilege under the Ancien Régime, which used separate forms of execution for nobility and commoners.[

Guillotine

 

国王や王妃が一般人と同じ方法で処刑されるのは、フランス革命で理想とされた「市民平等」や「法の前の平等」を表している。

 

フランスでギロチンは1792年から1981年まで使用されていた。
これは植民地のベトナムで使われていたもの。

 

ギロチン処刑が導入された当初、民衆にとってこれは人気の娯楽で、この“ショー”を楽しむために、死刑囚の名前を載せたプログラムを売る店まであった。
パリ五輪の開会式での演出はこの感覚の延長だったかも。

 

 

ヨーロッパ 「目次」

【テロの由来】自由・平等のフランス革命ではじまる恐怖政治

【レストランの始まり】フランス革命が外食文化を生んだワケ

明治維新とフランス革命:欧米を驚かせた日本社会の急速変化

フランスの3月10日 絶対王政→革命・処刑→外人部隊の誕生

【フランスの宗教対立】戦争&虐殺を終わらせたナントの勅令

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。