【西洋人の眼】ローマ教皇と天皇・皇帝と将軍は似ている

 

きょう10月22日は、ヨーロッパでは1978年にヨハネ・パウロ2世がローマ教皇になった日で、日本では2019年に現在の天皇陛下が即位を宣言された日。
天皇陛下は5月1日に即位され、10月22日の「即位礼正殿の儀」で即位を世界中に伝えた。
西洋人から見ると、この両者はよく似ている。

明治時代、フランスの旅行家で美術品の収集家エミール・ギメが日本を訪れ、天皇についてこう書いた。
ちなみに、フランスのギメ東洋美術館は彼によって創設された。

日本の各地方には、将軍の命に従う大名と呼ばれる領主がいて、主権第二位の征夷大将軍たる将軍から絶えず下される命令が、大名を通じて実行されていた。
外国人、とりわけ西洋人が天皇をローマ教皇になぞらえ、将軍を実質的な皇帝とみなしていたのは、そのためであった。

「明治日本散策 東京・日光 (角川ソフィア文庫) エミール・ギメ」

 

天皇は日本で神道の最高神・アマテラスの子孫として崇拝され、ローマ教皇は地上の神の代理人として尊敬されていた。
ヨーロッパでローマ教皇と皇帝の関係は時代によって違うが、人民を統治する王や皇帝は神からその権利を与えられたという考え方があったため、皇帝の即位式では、最高位の聖職者である教皇がその地位を授けることがあった。

その代表的な人物が、フランスとドイツで英雄視されているカール大帝。
彼は800年にローマ教皇レオ3世から帝冠を授けられ、神聖ローマ帝国の初代皇帝となった。
ややこしい話なんだが、ヨーロッパではこの時を神聖ローマ帝国の始まりとしているが、日本では、962年にオットー1世がローマ教皇から帝冠を授けられた時を神聖ローマ帝国の始まりとしている。だから、カール大帝もオットー1世も初代皇帝と言うことができる。

ヨーロッパではその後も、皇帝が教皇から冠を頭にかぶせてもらう慣習が続く。人が皇帝になるには神の権威が必要で、それを与えられるのはこの世で教皇しかいないから、「皇帝<越えられない壁<教皇」という序列が固定化していく。
13世紀、絶頂期にいた教皇インノケンティウス3世はそんな関係を「教皇は太陽、皇帝は月」と表現した。月は太陽の光を受けて輝くように、ヨーロッパの皇帝も教皇の権威を授けられることで、支配者として君臨することができる。要するに、カトリック教会は世俗権力の上位にあり、皇帝は教皇より劣った存在だということを言いたいらしい。

 

オットー1世

 

ローマ教皇に戴冠してもらうことは、カトリック教会を味方につけることを意味し、
これは皇帝にとって大きな魅力がある。
オットー1世の場合、各地の諸侯の力が強く、彼らを思いどおりに動かすことは困難だったが、ローマ教皇の権威を借り、「ホーリーパワー」を得ることで、諸侯に対して発言力が増し、支配がしやすくなった。

ローマ教皇に戴冠してもらうことは、カトリック教会を味方につけることを意味し、
これは皇帝にとって大きな魅力がある。
オットー1世の場合、各地の諸侯の力が強く、彼らを思いどおりに動かすことは困難だったが、ローマ教皇の権威を借り、「ホーリーパワー」を得ることで、諸侯に対して発言力が増し、支配がしやすくなった。

この関係を江戸時代の日本に当てはめると、諸侯は大名、皇帝は将軍、ローマ教皇は天皇になる。将軍は天皇に任命され、その権威を利用して、将軍は全国各地にいた大名を支配していた。
西洋人が天皇をローマ教皇になぞらえ、将軍を実質的な皇帝とみなしていたのも納得。
しかし、Time goes by、そんな時代は過ぎ去って、現在では天皇もローマ教皇も政治的な権力とは無縁で、権威を保ったまま象徴的な存在になっている。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。