古代、先進的な文化や文明は中国から朝鮮半島、そしてそこから日本へ伝わった。だから、日本は韓国を「兄の国」、中国を「父の国」と呼ぼう--。
日本のネット界隈にはそんなジョークがあるけれど、世界を見渡すと、さまざまな国に「父の国」ではなくて「国の父」がいる。独立運動のリーダーや国・王朝を始めた人に対して、国民が敬意を込めてそう呼ぶことが多い。
「国民の父」にはこんな英雄がいる。
・非暴力・不服従運動でイギリスと戦い、インド独立の中心人物となったガンジー。
・大陸軍総司令官としてイギリスと戦い、アメリカを独立に導き、初代大統領となったワシントン。
・紀元前の世界で大帝国を建てたギリシャのアレキサンダー大王。
そんな偉人はトルコにもいる。
1923年のきょう10月29日、トルコ共和国を成立させ、初代大統領になったムスタファ・ケマル・パシャだ。彼はその功績から、アタテュルク(トルコ語でアタは父、テュルクはトルコを意味する)という称号を与えられた。
現在でもトルコ人は彼を「アタテュルク(国民の父)」と呼び、尊敬している。
*トルコの正式な国名は2022年にテュルキエになった。
「Turkey(ターキー)だと七面鳥と誤解される。テュルキエの方がいい」と言う友人のテュルキエ人には悪いのだけれど、この記事では日本になじみの深い「トルコ」と書くことにする。
第一次世界大戦が始まると、オスマン(トルコ)帝国はドイツやオーストリアなどの同盟国につくという致命的なミスを犯し、フランスやイギリスなどの連合軍に敗北し、1918年に屈辱的な休戦協定を結ぶ。これで首都イスタンブールは連合軍に占領され、国土をイギリス、フランス、ギリシャに奪われ、オスマン帝国は解体の危機におちいった。
当時、オスマン軍の将軍だったムスタファ・ケマルは革命を起こし、自らの手でオスマン帝国を滅ぼし、現在まで続くトルコ共和国を樹立する。
その際、彼はロシア革命のように皇帝一家を惨殺することなく、オスマン皇族を国外へ追放した。
ムスタファ・ケマルはトルコを近代化に導き、後にトルコ議会から「アタテュルク」(トルコの父)の称号を贈られた。
ムスタファ・ケマル・アタテュルク(1881年 – 1938年)
東アジアにも「国民の父」はいる。
ベトナムのホーチミン、中国の孫文、韓国の金九、北朝鮮の金日成がそう。
この4人はすべて祖国を独立に導いた人物で、異民族に支配された歴史のない日本にそんな人物はいない。ネットでは、「“日本の国父”と呼ぶにふさわしい人は誰か?」という質問に対して、明治天皇、昭和天皇、坂本龍馬…といろいろな人物が挙がっている。
意見が分かれるということは、全国民にとって「父」と呼べる人物はいないということだ。
島津久光は薩摩藩の国父と呼ばれるが、これは別枠。
金日成(左)と金九
日本では「国父」について、さまざまな見方があるだけで、統一された存在はいないのだ。と思ったら、英語版ウィキペディアには、日本における「国民の父」として神武天皇を挙げていた。 紀元前660年に橿原宮で天皇に即位して初代天皇となり、日本を建国した。その日が2月11日だったから、現在の日本では「建国記念の日」になっている。
しかし、日本語版ウィキペディアにそんな記述はなく、日本の国父は存在していない。日本人の間にはさまざまな見方があるけれど、欧米の価値観や基準からすると、「日本の父」は神武天皇になるらしい。
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