「日本とドイツにはどんな共通点がありますか?」とAIに質問すると、こんな答えが出てきた。
・面積がほぼ同じ(ドイツは約36万平方メートルで、日本は38万平方メートル)。
・時間の正確さや衛生観念、規則に対する忠実さが似ている。
・政体や法律体系、国民全体の教養、生活レベルも似ている。
こんな感じに、日本とドイツでは重なる部分は多いけれど、社会に注目すると、宗教が与えている影響の強さが違う。
たとえばドイツで以前、カトリックの信者だった大家が聖母マリアの像を置いたところ、プロテスタントの住居人が激怒して像の撤去を要求した。大家は「だが断る!」と拒否したため、住居人は大家を訴えた。
また、ことし2024今年には、タクシー運転手が自分の車に「イエス―わたしは道であり、
真理であり、命である」という聖書の一節が記されたステッカーを貼っていたところ、これが違法な宗教広告にあたると判断され、地元当局から罰金の支払いを命じられた。すると運転手と支持者たちは、ステッカーは個人的な信仰を表しているだけで合法であると抗議した。
日本でこうしたトラブルは聞いたことがない。
友人のドイツ人に話を聞くと、ドイツの社会は全体的に「キリスト教離れ」が進んでいるから、こんな出来事は例外的。しかし、いまも熱心な信者は多く、信心を表に出すとトラブルになることもあるという。
カトリックもプロテスタントもキリスト教の信者で、同じ神を信じている。しかし、価値観や考え方は違うため、信仰がからむと相手を認められないこともある。
友人は日本に住んでいたことがあって、七福神の話を聞いて、宗教に対する日本人の心の広さに驚いたという。
七福神は、インドの神3柱、中国の神3柱、それと日本のえびす神によって構成されているユニットだ。異教の神々が同じ船に乗って仲良くしている様子は、一神教の世界で生まれ育った彼の価値観や考え方からするとありえないものだったから、とても新鮮に見えた。
昔のキリスト教の考え方なら、異教や異端は海に放り込んで、船に乗っているのは一人しかいない。
1517年の10月31日、ドイツでルターがローマ教会の贖宥(しょくゆう)状の販売を非難する「95ヶ条の論題」を教会の壁に貼り出した。
*昔は「免罪符」と言われていたが、最近では「贖宥状」を使うことが多い。これを買っても罪が消えることはないが、神の罰から免れることはできるということから、言葉としては「免罪」よりも「贖宥」の方が適切とされているらしい。
ローマ・カトリック教会は信徒に贖宥状を売って大もうけをしていたが、ルターは「そんなことは聖書に書いてない!」と否定し、カトリック教会を糾弾する。
絶対的権力である教会に異論を唱えたことで、カトリック側は激怒し、「異端として焼き殺せ」といった声が上がった。ローマ・カトリック教会はルターに対して、信仰を撤回しなければ破門するぞと脅したが、ルターはそれを伝える教皇勅書を燃やしてしまう。
そして1521年に、彼はついに破門を受け、キリスト教社会から追放された。
これでカトリック教会の保護を受けることはできなくなり、ルターを殺害しても罪には問われなくなるため、彼は本当に危険な状態におちいる。
その後、ルターが宗教改革を始め、プロテスタントという新しいキリスト教のグループが誕生すると、ヨーロッパ各国で「カトリック VS プロテスタント勢力」の戦いが発生。なかでも、ドイツが主戦場となった三十年戦争では800万人以上の死者を出し、「人類史上最も破壊的な紛争」と言われている。
ドイツ、スウェーデン、オーストリア、スペイン、フランスなどを巻き込んだこの大戦争は1648年に終結し、講和条約であるヴェストファーレン条約(ウェストファリア条約)が結ばれた。これにより、カトリックとプロテスタントという宗教の違いを原因とする争いがなくなっていく。
ちなみに、500年以上が過ぎた今でも、ルターの破門は解除されていない。「ヤツは絶対に許さない!」というカトリック教会の強い意思を感じる。
ドイツでは反対に、宗教改革は高く評価されている。彼が「95カ条の論題」を教会の壁に貼り出してから、500周年にあたる2017年10月31日は全土で祝日となった。
日本とドイツの歴史を比べると、宗教をめぐる戦いがなかったという大きな違いがある。日本でも宗教の違いが原因となって対立や争いは発生したけれど、三十年戦争のような大規模な戦争は一度もない。
6世紀に仏教が伝わると、この新しい宗教の扱いをめぐって争いが起きたが、用明天皇は「仏法を信(う)けたまひ、神道を尊びたまふ」と言って日本で初めて仏教を公認し、自分も信者になった。用明天皇の息子の聖徳太子も仏教を尊重した。
「カトリックを信じ、プロテスタントを尊ぶ」という態度は、キリスト教世界では許されなかった。
日本人は古代から宗教に対して寛容で、統治者が自分の宗教を押し付けたり、他人の信仰を禁止したりすることはなかった。戦国時代に伝わったキリスト教はそんな日本の伝統を否定したため、豊臣秀吉や徳川家康によって追放された。
日本生まれの神道とインド発祥の仏教を同時に信じ、尊ぶというのが日本の伝統的な信仰スタイルだから、そんな大らかな態度から、七福神という「神様セット」が生まれてきてもおかしくない。
日本人には自然なことでも、宗教改革や三十年戦争を経験したドイツ人には信じられない考え方かもしれない。
【欧州と日本の違い】神道が仏教に“ハイジャック”されなかった
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