きょう11月25日は1876年に、
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」
「万人は万人みな同じ位にして、生まれながら貴賤(きせん)上下の差別なく」
という言葉で有名な、福澤諭吉の『学問のすゝめ(すすめ)』の最終刊(第17編)が刊行された日。
『学問のすゝめ』は、すべてを書き終えてから発表されたのではなく、初編、二編(人は同等なること)、三編(一身独立して一国独立すること)…と段階的に公開され、十七編(人望論)で完結した。
福沢が『学問のすゝめ』で訴えたかったことは、格闘家だった小川直也さんが「新日本プロレスファンのみなさん、目を覚ましてください!」とマイクで絶叫したのと同じで、「日本のみなさん、目を冷ましてください!」ということだ。
最終刊が刊行された10年ほど前、江戸幕府が滅亡して明治政府が誕生し、社会の制度や価値観はかつてなかったレベルで激変した。
大名をはじめとする侍たちが支配層にいて、農民や商人などの一般人がその権威に従って生きる封建時代は終わり、侍の子が侍に、農民の子は自動的に農民になる世襲制もなくなった。
明治の新しい日本は身分制度から解放され、生まれながら貴い人も賤しい人もなく、上下の差別もない。平等な世の中になったというのは、厳しい競争時代になったことを意味する。
スタートラインが同じになったから、どれだけハードに勉強するかによって他人との「差」が出てくる。『学問のすゝめ』で福沢は「賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり」と明確に指摘し、新時代で「愚人」にならないように学問をすすめている。
江戸時代と違って、明治日本は自己責任が重要で、自分の人生は自分でデザインしなければならなかった。
時代が変わっても、庶民の頭の中は江戸時代のまま。
でも、それは当然で、政府を中心とする社会の上層部にいる人たちは、新しい社会にふさわしい価値観や考え方を持っていても、民衆が一斉にそれを脳にダウンロードすることなんてできるわけがない。
しかし、明治日本はできるだけ早く封建社会の古い価値観から脱して、欧米のような民主主義の国にならなければならない。
それで、福沢は民衆を啓蒙しようとした。
啓蒙とは無知な人(蒙)に知識を教え、正しい方向へ導く(啓)ということ。現代の感覚からすると、上から目線の偉そうな言葉になるが、当時はそんな言葉がふさわしい空気があった。
新しい時代には民衆に“無知”を気づかせ、啓蒙する賢人が必要で、福沢諭吉が進んでその役割を買って出た。人びとが『学問のすゝめ』を読んで時代や社会が変わったことを知り、新しい価値観や考え方を得て、自分が民主主義国家の主人公となるという自覚を持つ。
まぁ、そこまでは言いすぎかもしれないが、福沢諭吉は、一人ひとりがこれからの国を担う市民や国民としての自覚を持つよう、『学問のすゝめ』で意識改革を促した。「一身独立して一国独立すること」が重要部分と思われる。
「日本のみなさん、もう江戸時代は終わってますよ。目を冷ましてください!」と新時代に適応することを訴えたことは間違いない。
こうして新しい時代にふさわしい価値観を知って、民衆にわかりやすく伝え、古い情報をアップデートさせてくれる教育者がいたことは日本にとってラッキーだった。
中国では魯迅が『阿Q正伝』で民衆を啓蒙しようとしたが、朝鮮ではそんな人物が見当たらない。朝鮮の不幸はその辺にも原因があったのかなと。
現代の日本にもそんな一歩先を行く人がいる。
ただ、数が多すぎるから、福沢諭吉のような本物か、それともただの「意識高い系」かは自分で判断しなければならない。
コメントを残す