【日清戦争】国難で、日本人に“国民”の意識が形成される

 

アメリカは世界各地からやってきた移民によって成立している国で、白人・黒人・アジア系、キリスト教・イスラム教・シク教などのさまざまな人種や宗教の人がいる。
さらに、アメリカでは表現の自由が守られていて、みんなが自分の言いたいことを主張するから、意見はなかなか一致しない。
しかし、2001年9月11日に同時多発テロ事件が発生し、その後、対テロ戦争が始まるとアメリカ人の意識が変わり、国民としてまとまったという。

日本国民をまとめるものが天皇制なら、アメリカの場合は?

とても不幸なことだけど、国家の存亡をかけた戦争は全国民にかかわる重大な出来事だから、国民をひとつにする効果はある。

 

きょう9月17日は、1894年に日清戦争の黄海海戦が行なわれた日だ。
日本の連合艦隊と清の北洋艦隊が激突した結果、日本軍が勝利し、清の海軍は大ダメージを受けて撤退する。
これで日本が制海権を握り、その後の戦局を有利に進めることができ、翌年85年に日清戦争を終わらせることができた。
勝者となった日本は欧米列強から近代国家と認められ、国際的地位が上がった一方、清は没落していき、1911年に辛亥革命が起きて内側から滅んだ。

21世紀の現代では、日清戦争の結果は教科書に書いてあるから、誰でも知っている。しかし、開戦前の日本人はドキドキ&ハラハラだった。
清は大国で兵力は日本を上回っていたし、当時としては世界最大級の30.5cm砲を4つも搭載している北洋艦隊の「定遠」や「鎮遠」は日本にとって大きな脅威だった。

しかし、国民は新聞の戦争報道で状況を知り、「日本の勝利」の一報が届くたびに、国内は歓喜し、戦勝祝賀会などが開かれた。おそらく国民も、兵士と一緒に戦っているような高揚感を感じていたと思われる。
そして、ついに戦争に勝ったことを知ったとき、福沢諭吉は喜びを爆発させた。彼はその時の感想を『福翁自伝』にこう書いた。

「日清戦争など官民一致の勝利、愉快とも難有いとも云いようがない。命あればこそコンな事を見聞するのだ、前に死んだ同志の朋友が不幸だアヽ見せて遣りたいと、毎度私は泣きました。」

「その原因は何処に在るかと云えば、新日本の文明富強は都て先人遺伝の功徳に由来し、吾々共は丁度都合の宜い時代に生れて祖先の賜を唯貰うたようなものに違い はない」

全国民が涙を流して、喜びを分かち合った姿が目に浮かぶ。

 

日清戦争は、明治日本が初めて経験した外国との戦争だった。これを通して、日本人が「国民」としての意識を持ち、一つにまとまったとよく指摘される。

戦争遂行の過程で国家は人々に「国民」としての義務と貢献を要求し、その人々は国家と軍隊を日常的に意識するとともに自ら一員であるとの認識を強めた。

日清戦争

 

同時多発テロ事件の発生から開始された対テロ戦争では、アメリカ国民もこんな認識を持ったのだろう。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。