日本に住んでいたあるアメリカ人男性が経験した「人生最悪の瞬間」、それは電車の中で、若い女性が大量の◯ロを吐き出したのを見たトキだった。
アメリカは日本よりも、社会的・道徳的に飲酒に対して厳しい態度をとっていて、公共の場で酒を飲むことが法律で禁止されている。歴史的には、熱心なキリスト教徒たちが禁酒運動の原動力となり、1920年代に禁酒法が成立した。
くわしいことは前回の記事を見てくれ。
あまり知られていないが、そんな動きは日本でもあった。
7世紀、初めて制定された元号「大化」の時代に禁酒令が発令されて以来、日本でも酒の摂取が禁止・制限されることが何度かあった。
「何度かあった」というのは、結局それが定着しなかったということを意味する。現代の日本人が過去にあった禁酒令を知らないのは、それが社会に与えた影響は“皆無”と言っていいほど少なく、無視していいレベルだから。
ではこれから、日本では例外的な「飲酒を禁止・制限した歴史」を見ていこう。
鎌倉時代、酒を飲んで酔っ払うことが原因でケンカになることが多々あり、鎌倉幕府は13世紀に「沽酒(こしゅ)の禁」という法令を出す。
これは飲酒を全面禁止にするのではなく、「飲み過ぎんなよ」と制限するものだ。具体的には、一軒の家につき、酒を保管する壺(つぼ)を一つ所有することを認め、それ以外は壊された。
当時の武士は刀を持っていたから、言い争いが殺し合いになったケースや、個人のレベルを超えて仲間同士、村同士の対立に発展することもあったと思われる。
沽酒の禁には、武士が酒に金を使いすぎて、貧乏人に転落することを防ぐ目的もあった。
江戸時代には、幕府が米の値段を安定させるために、米を原料とする酒づくりに規制をかけることが何度もあった。これも一種の禁酒になる。
それ以外にも、これはイレギュラーだが、17世紀に徳川綱吉が「生類憐みの令」を発令したころ、酔っ払いが犬や猫などを殺したり、ケガをさせたりしないように幕府は大酒の禁止令を出している。
1920年代のアメリカの禁酒法が「天下の悪法」と呼ばれることがあるが、生類憐みの令もあまり評判は良くない。
近代になると明治時代に禁酒運動が盛り上がり、1922(大正11)年に未成年者飲酒禁止法が成立した。この第一条に「二十歳未満ノ者ハ酒類ヲ飲用スルコトヲ得ス」と書いてある。今に続く「お酒はハタチから」はこの時から始まった。
ちなみに、タバコに関しては、1900(明治33)年に未成年者喫煙禁止法が成立している。それ以前の日本では、酒やタバコについての全国的な決まりはなかったから、それらの摂取は自己責任や親の責任に任されていたということだろう。
明治時代にこの法律が生まれた背景について、国税庁のウェブサイトにこんな説明がある。
明治時代になり、キリスト教の布教が認められると、宣教師等を中心に風俗改良運動が起きた。禁酒運動はその一環として始まる。
明治の日本は江戸時代の古い価値観を捨て、欧米に学んで全速力で国を近代化していた。当時の西洋世界ではキリスト教の価値観が支配的で、その影響を受けて日本でも禁酒のムードが高まり、村全体で酒を追放する「禁酒村」まで現れた(本当に酒が消えたかは知らない)。
こんな社会的な盛り上がりから、法律で禁酒を達成しようという運動が起こり、未成年者飲酒禁止法の爆誕につながる。
1920年代にアメリカで禁酒法が成立した背景には、社会の乱れや不道徳を許さないキリスト教的な価値観があった。明治の禁酒運動にも、キリスト教の影響がある。
しかし、日本では伝統的にキリスト教を信じる人がほとんどいなかったせいもあり、現在の日米を比べると、日本は飲酒に関してかなり緩い。
それが冒頭のアメリカ人が見た「人生最悪の瞬間」の背景になっている。
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