【最後に逆転】必ずしも屈辱的ではなかった“カノッサへの道”

 

1月28日は1077年、ローマ王ハインリヒ4世がローマ教皇グレゴリウス7世から、ようやく赦(ゆる)しを得た日。王は教皇に破門を解いてもらうため、イタリアのカノッサ城の外で3日間ひざまずいて祈り続けた。
ハインリヒ4世はのちに神聖ローマ帝国の皇帝となる重要な人物だ。

日本ではこの事件を「カノッサの屈辱」や「カノッサ事件」と呼び、日本語版ウィキペディアのタイトルもそうなっている。しかし、英語版ウィキペディアでは「カノッサへの道(Road to Canossa)」と、新日本プロレスの『闘強導夢』(東京ドーム大会)を連想させる項目名になっている。欧米では、これがハインリヒ4世にとって本当に屈辱的な敗北だったかどうかについて、意見が分かれているからだ。
ボクは高校生のとき、世界史の授業で、当時のヨーロッパでは王と教皇の権力争いが続いていて、この事件によって教皇の優位性は決定的なものになったと教わった。日本ではその認識が多いと思うけど、海外では必ずしもそうでもない。

 

事件の前年の1076年、ハインリヒ4世がローマ教皇の廃位を宣言すると、グレゴリウス7世も対抗してハインリヒの破門し、王位の剥奪すると宣言した。また、教皇はドイツの諸侯に、王に対する忠誠の誓いは無効になったと伝えた。
諸侯はハインリヒよりも教皇の意思を尊重し、1077年2月2日までに王の破門が解除されなかった場合、新しいローマ王を決めると王に宣告する。
教皇に破門されて王位まで失ったら、ハインリヒとその家族は追放されるだけでなく、殺害される可能性もあったと思う。とても危険な状況だ。
ハインリヒは妻と子どもを連れて、ドイツからイタリアまで歩いて行き、教皇がいるカノッサ城に到達。しかし、教皇は入城を許さなかった。そのため、王は粗末な修道士の服を着て、裸足で雪の降る中、3日間ひざまずいて祈り続けた。
(当時の資料にはそう書かれているが、このシーンは劇的すぎて、「盛っている」という指摘もある。)
これでようやく教皇は彼を赦し、破門を解いた。

ここまでの話だけなら、ハインリヒ4世の屈辱的な敗北として、「カノッサの屈辱」という言葉がぴったりだ。しかし、この話には続きがある。

 

「門前払い」をされる王とその家族

 

破門を解除されたことでピンチを脱し、ハインリヒ4世は力を取り戻すと、破門を支持した諸侯を「ぶっつぶす」ことを決意する。彼は時間をかけてその準備を整え、ついに攻撃を開始した。
この事態に、教皇グレゴリウス7世はハインリヒに対して再び破門を宣言したが、王の事前の“根回し”もあり、今回はそれに従う諸侯は少なく、破門の効果も薄かった。
ハインリヒは内戦に勝利すると、「敵はローマにあり!」と次はローマに向けて進軍を始める。
赦しを得るために家族と歩いて向かったときとは違って、王は『闘強導夢』でリングに向かうレスラーのように自信に満ちていたはず。
ローマに到着したハインリヒの軍勢を前に、グレゴリウス7世は逃げ出さざるを得なかった。ハインリヒは教皇の代わりに、クレメンス3世を教皇に任命した。

Gregory levied a second excommunication against Henry, who ultimately won the civil war, invaded Rome, and forced Gregory to flee, replacing him with Antipope Clement III.

Road to Canossa

 

こうしてグレゴリウスは教皇の座を失い、ローマに帰ることもできず、失意の中で亡くなった。一方、ハインリヒはクレメンス3世から王冠を授かり、神聖ローマ帝国も皇帝となった。

最終的には、ハインリヒとグレゴリウスの立場は完全に逆転した。だから、「カノッサの屈辱」は王が一方的に屈服した出来事ではないのだ。
個人的には、カノッサ城で雪の中、裸足で祈り続けたハインリヒの行動は、結果的に彼の「見事な戦略」だったと思う。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。