日本人なら、「金閣寺」と「銀閣寺」を間違える人はいない。でも、韓国人にはむずかしいらしい。最近、ある韓国人がSNSで、「キ」も「ギ」も言葉の最初にくるとハングルでは「기」になるから、金閣寺も銀閣寺もハングル表記にすると「긴카쿠지」と同じになってしまうから、「とても分かりづらい」と投稿していた。
今回の話題はその2つのお寺だ。
まずはクエスチョン。
トップ画像の建物は何でしょう?
昔、家庭教師のバイトをしていたころ、教え子の中学生が学校の試験でそんな質問が出てきて、「金閣寺」と書いたところ、「✕」をもらった。そんな生徒は他にもいて、教壇の先生は「勘違いしている人も多いけど、金閣寺なんてないからな」と言った。
正確には、お寺としては正式には鹿苑寺(ろくおんじ)といい、その境内にあの金ピカの建物がある。それはシャカの遺骨(舎利:しゃり)を納めた建物で「金閣」という。
なので、答えは「金閣」でもいいけれど、「鹿苑寺金閣」と書くと、きっと先生は「こいつヤルな」と思うと思われる。
*舎利殿は日本のお寺にはよくある。しかし、本物と判断されたシャカの遺骨がある舎利殿は、国内には愛知県の覚王山日泰寺しかない。
金閣寺のHPを見ると、正式名称は鹿苑寺であることを強調しつつ、「舎利殿「金閣」が特に有名なため、一般的に金閣寺と呼ばれています」と書いてある。金閣寺側としては国民の勘違いが不本意らしく、金閣がきれいに見える池を挟んだ撮影スポットに、次の注意書きを設置している(撤去されてなければ)。
「正面の建物は金閣です。金閣寺ではありません」
このへんの情報が頭の中でごちゃ混ぜになっていて、整理できていない人は少なからずいる。だから、ネットのQ&Aサービスでは、
「金閣と金閣寺ってどちらが正しいのですか? 授業で先生は鹿苑寺の金閣ですと言いました。でも、テレビ番組では「金閣寺」と表示されます。」
といった質問がいくつもある。
英語の「Kinkakuji Temple」の表記を見て、「ジと寺が重なってるじゃん! これはおかしい」とツッコむ人に比べれば、金閣と金閣寺の違いに気づく人はとても少ない。
同じことは「銀閣寺」にも当てはまる。
世間で銀閣寺と呼ばれるあの建物は、慈照寺(じしょうじ)の境内にある「銀閣」だから、じつは京都に金閣寺や銀閣寺なんて寺は存在しないのだ。
もちろん、一般的には「金閣寺」と言っても問題ない。しかし、特定の人たちが集まるところでこの呼称を使うと、はんなり注意されることがある。
たとえば、京都好きが集まるあるSNSグループでは、
「こんにちは。近く京都に旅行に行くので、京都に詳しい皆さんから、アドバイスをいただければと思います。まず金閣寺に行って〜」
という投稿があると、「はて? 京都に金閣寺なんてお寺がありましたっけ?」といった嫌みなコメントが一定数くる。投稿者が「よくわからないので教えてください」と聞いても、「まずはそこから調べたらどうですか?」と教えてくれない。
「金閣寺なんてお寺はありませ〜ん。あれは鹿苑寺金閣ですー」と明るくマウントをとる人のほうが個人的には好印象。
日本語には、間違った意味が定着して、使われるようになった言葉がいくつもある。
たとえば「確信犯」だ。
確信犯とは、本来は、それが法に反する行為になるとしても、自分の政治的、思想的な信念に基づいて「これは正義だ!」と確信して行う犯罪行為を意味する。一般人を死傷させて、自分の政治的要求を実現しようとするテロがまさに確信犯。
それが現在では、「自分がするのは悪いことだ」と確信したうえで違法行為をするという、本来と反対の意味で使われるようになっている。
本当は間違いでも、なじみやすい意味や呼び方が定着することはよくある。
奈良の大仏を、正式名称で「盧舎那仏坐像(るしゃなぶつざぞう)」と呼んでいる人が一体どのくらいいるのか。
金閣寺や銀閣寺と呼んでも問題ない。でも、テストの質問に答えたり、意識高い系の人がいたりするときは、金閣と銀閣を使ったほうがいい。正しさを追求する人は、気軽に人の心を踏みつけるから。
コメント
コメント一覧 (2件)
> 「金閣寺なんてお寺はありませ〜ん。あれは鹿苑寺銀閣ですー」と明るくマウントをとる人のほうが個人的には好印象。
ははは、京都には金閣寺も鹿苑寺”銀閣”もありませ~ん。あるのは「鹿苑寺金閣」ですよ。
> 本物と判断されたシャカの遺骨がある舎利殿は、国内には愛知県の覚王山日泰寺しかない。
インドにおいて、イギリス人ウイリアム・C・ペッペが真身舎利を発見したのは19世紀末のことですよね。それ、本当にお釈迦様の遺骨なのかなぁ? DNA鑑定もなかった時代のことなのに。当時から現代まで、何らかの裏付けを得るための追加調査って行われているのでしょうか?
> テストの質問に答えたり、意識高い系の人がいたりするときは、金閣と銀閣を使ったほうがいい。正しさを追求する人は、気軽に人の心を踏みつけるから。
それほど気にするようなことですか? 正しさを追求する人が何を指摘しようと、別に自分が「踏みつけられた」などと考えなきゃいいだけの話でしょ。間違った知識や俗説を信じるなんてこと、誰だってあるでしょうに。
日本人にはそういう感じ方をする人が多いから、ネットでの中傷が原因で自殺したり「炎上」が騒ぎになったりするのでしょうね。気にし過ぎだと思いますよ。
世間一般に向かって何かを主張すれば、当然ながら、賛成/反対/その他、何らかの反応は返ってきます。それを覚悟できなければSNSでの発言なんてしない方がいい。
鹿苑寺“銀閣”になってましたね。ご指摘ありがとうございます。
調べた限り、覚王山日泰寺の真骨を否定する説は見当たりませんでした。