まずはクエスチョン。
歴史上、日本は中国からいろいろなことを取り入れたけど、受け入れなかったものもある。
では、「中国にはあるけど、日本にはなかったもの」には何があるでしょう?
日本にあって中国にはないものは忍者
評論家の山本七平氏の答えはこれだ。
そうですなあ。科挙、宦官、族外婚、一夫多妻、姓、冊封、天命という思想とそれに基づく易姓革命、さらにそして少し後代なら纏足がなく、日本だけにあるのがかな、女帝(女王)、幕府、武士、紋章ですかな。後になると漢字・蘭学と平気で並べており、どこからでも聴講しています。
「日本人とは何か。(上巻)山本 七平(PHP文庫)」
中国と日本では易姓(えきせい)革命の有無が決定的にちがう。
中国の歴史は、皇帝を倒した人物が次の皇帝になるという易姓革命のくり返しだけど、日本の歴史ではそれが一度もなかった。
だからいまでも天皇家が続いている。
纏(てん)足についてはここをどうぞ。
纏足した女性の足
纏足のほかにも、日本には「阿片(アヘン)の吸引」という悪習慣もなかった。
かつての中国には阿片が出回っていて、これを吸う人は当たり前のようにいた。
明治時代に上海を訪れた教育者の井上円了(いのうえ えんりょう)は、中国人と日本人の違いをこう書く。
*井上円了は東洋大学を設立したことでも有名。
シナ市街に茶店食店すこぶる多し。しかれども飲酒店あるを見ず。要するに、シナ人は飲酒をたしなまざるもののごとし。ただ飲酒の代わりに、阿片を喫するをもって無上の楽しみとするのみ。日本人は阿片の代わりに飲酒をたしなむ。
「西航日録 (井上 円了)」
*「シナ」は中国のこと。いまはこの表現はNG。
日本人が酒を飲むように、当時の中国人はアヘンを吸っていた。
また小説家の豊島与志雄が1940年(昭和15年)ごろ上海へ行ったとき、とばく場でこんな表情の中国人を見る。
勝負を度外視してただ賭博そのものだけを享楽してるようである。その顔付は傍の小房内で阿片吸飲に陶然としてる人々のそれと、ちょっと見たところでは区別がつかない。
「上海の渋面 (豊島 与志雄)」
阿片を吸う中国人
阿片を吸引すると喜怒哀楽の表情がなくなるらしい。
こんな習慣は日本にはいらない。
19世紀後半から20世紀前半、中国人は阿片におぼれていたけど、そのきっかけをもたらした悪魔はイギリスだった。
イギリスが大量の阿片を中国に売りつけ、最後には香港をうばってしまう。
日本はそんな隣人を見て、阿片には警戒していた。
慶応4年閏4月(1868年6月)、明治政府から最初のアヘン禁令となる太政官布告第319号を布告し、「あへん煙草は人の生気を消耗し命を縮めるもの」と初めて人害であることが明記された。
これは別の機会に書くつもりだけど、台湾から阿片の吸引という悪習慣を一掃したのは日本だ。
大麻を吸っているタイの少数民族
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台湾からは阿片を一掃しましたが、中国では我が軍が資金調達のために阿片取引を行っていた事実もあり、日本も阿片については正負両面が存在すると思います。
余談ですがアメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領は母方の親族が中国での阿片取引で莫大な利益を上げていたそうです。
そして我が軍が沿岸部を占領し阿片取引から締め出された事が対日政策にも影響を与えたという説があります。
>我が軍が資金調達のために阿片取引を行っていた事実
これは初耳です。どこで確認できるでしょうか?日本でもアヘンは生産していましたが、量は少なかったと思います。日本がどこでアヘンを仕入れてどうやって売ったか興味があります。
>我が軍が資金調達のために阿片取引を行っていた事実
これは初耳です。どこで確認できるでしょうか?
里見機関、宏済善堂について調べられるとよろしいかと思います。
この機関が上海において現地の非合法組織と通じて、満州、朝鮮等で密造した阿片の取引を行っていました。
表向きは民間企業でしたが、設立や運営に関東軍が関わり、その利益は軍資金として利用されました。
里見甫という日本人がいたんですね。
日本産ではないと思っていましたが、満州なら納得です。
それにしても、日本は中国で阿片を売って得た金を中国(汪兆銘政権)に渡していたというのは意外でした。
当時の複雑な中国事情が垣間見た気がします。
貴重な情報をありがとうございました。