ヨーロッパ– category –
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カクテル「ブラッディ・マリー」( 血まみれのメアリー)の由来
はじめの一言 「そしてみんなで大笑いをするのだ。笑いは日本人の礼儀作法の一つである、道すがら出会う人びとはみな気持ちよく、顔に笑いをたやさない (エドモンド・コトー 明治時代)」 始めにチョイとご説明。 この記事では「ヨ... -
オランダとベルギーの誕生の歴史・人間や国の違いは、宗教でしょ。
はじめの一言 「日本の素朴な民衆は、全世界でもっとも友好的で上品な民衆の一つだ。彼らに接して受ける印象は、けっして表面的な上品さではなく心からなる親切の表れである」 (コリン・ロス 日中戦争見聞記) 今回の内容 ・オランダとベ... -
ヨーロッパの歴史、キリスト教の宗派(新教旧教)対立・東ティモール
はじめの一言 「日本の工芸の輝かしい成功は、漆塗りの家具と道具の類である。同名の灌木から抽出した、比類のない日本漆を使いこなす才能たるや、まことに見事である。また、装飾技術を駆使して最高の効果をあげるその手腕も立派なもので (アンベ... -
ヨーロッパ中心主義というバカな考え・日本とポルトガルの関係
はじめの一言 「もし文明という言葉が物質文明を指すなら、日本人はきわめて文明化されていると答えらえるだろう。 なぜなら日本人は、工芸品において蒸気機関を使わずに達することのできる最高の完成度に達しているからである。 それにヨーロッパ... -
スペインの基礎知識!歴史やアラブ(イスラム)文化の影響
はじめの一言 「何かあるたびにフランス人は、『自分たちはフランス革命で自由・平等を勝ち取った』という話をします。 そんなときに私が、『日本だって第一次世界大戦の後に、人種差別撤廃条約をの提案をしたのよ』と言うと、若い学生たちは皆一様... -
日本、世界にデビュー!江戸幕府、パリ万博参加・ジャポニズム④
日本が世界に「デビューしたとき」といえば、1867年のパリ万博に参加したときだろう。 江戸時代の日本はこのとき、ヨーロッパに衝撃を与えた。 日本は1867年のパリ万国博に初参加し、葛飾北斎の浮世絵などを出品。フランスでジャポニズムが起こ... -
「カエサルの物はカエサルに インド人の物はインド人に」 ~インド独立~
・愛国者としてのガンディー 実際のガンディーを知っていくと、ガンディーは、非暴力主義者とか平和主義者とかいう以前に、インドを愛する愛国者だったことが分かる。 著書「真の独立への道 岩波文庫」には、そうしたインドを賞賛する言葉が多くあ... -
「ガンディーのやり方が、ヒトラーやポル・ポトにも通じたの?」④~日本人は杉原千畝だけじゃない~
・有効なだったのは、「脱出」だ ガンディーの唱えた「非暴力・不服従運動」の中で、ナチスやポル・ポト政権の支配下でも有効なものがあったとしたら、それは「脱出」であったと思う。 ガンディーは、「非暴力・不服従運動」の一例で、村人が気に入... -
「あのさあ、ガンディーのやり方が、ヒトラーやポル・ポトにも通じたと思う?」③
・ガンディーの非暴力・不服従運動とは? ようやく、ここから、あのおっさんに聞かれたことを考えたい。 「あのさあ、ガンディーのやり方が、ヒトラーやポル・ポトにも通じたと思うの?」 ボクが、答えられなくて、「ぐぬぬ」となってしまった質問... -
「あのさあ、ガンディーのやり方が、ヒトラーやポル・ポトにも通じたと思うの?」②~イギリスのインド支配 後篇~
・イギリスのインド支配の目的 そもそも、イギリスは、インド人を「利用」しようとしただけで、ナチスやポル・ポト政権のように、「絶滅」させようとする意図はなかったはず。 もちろん、その「利用」の仕方は過酷で、ときには、インド人は奴隷のよ...