きょう11月2日は「いい・もじ(2)」で習字の日だから、禅宗のお寺によくある円相(一円相)や日本文化について書いていこうと思う。
*上の写真が円相。
円相について、まずは辞書的な意味をチェックですよ。
デジタル大辞泉には「禅宗で、悟りの形象として描くまるい形。心性の完全円満を表す。」という説明があり、日本国語大辞典の解説にはこうある。
「禅宗で、人の心に本来備わっている悟りを示すために、象徴として描く円。円のなかに文字や記号をかいて、心の働きや、悟りの階梯を表わすこともある。」
円相とはつまり、仏教の到達目標である「悟り」や「真理」を円形で表現したものだ。
円には始まりも終わりがなく、角と違って引っかかるところもない。そんな円の流れ続ける動きは執着から解放された、仏教で理想とされる心の状態を象徴している。
これが円相についての一般的な見方だけど、円相については個人が自由に解釈できるから、自分が感じ取ったことが自分にとっての正解でもある。
一筆できれいな円を描くことにはすごい集中力が必要で、煩悩や雑念があったらうまくできない。だからこれができる人は、澄みきった心の持ち主である証拠と話す禅宗のお坊さんもいた。
ちなみにチームラボは円相を取り入れた創作活動を行っている。
「空書」とは、チームラボが設立以来取り組んでいる空間に書く書のこと。書の墨跡が持つ、深さや速さ、力の強さのようなものを、新たな解釈で空間に立体的に再構築している。
京都にある源光庵の悟りの窓(丸)と迷いの窓(四角)
円は大宇宙、角形は人間の生涯(生老病死の四苦八苦)を表す。
まえにアメリカ人とインドネシア人を源光庵に連れて行ったとき、彼らはこの窓のデザインよりも、そこに込められた意味のほうが印象的と言っていた。
日本文化に興味のある外国人なら(日本にいる外国人は大抵そうだけど)、こういう日本の精神世界の話をするときっとよろこぶ。
さてバングラデシュ人とタンザニア人、それと4人のインド人と一緒に禅宗のお寺に行ったときのこと。
禅の開祖は5~6世紀のインド人僧ダルマなんですよと言ったところ、4人のインド人はみんな日本に1年以上住んでいたから「ゼン」は知っていたけど、それを始めたのがご先祖だったことは初耳で「え?」という顔をする。
そんな彼らに現代インドの仏教事情について聞くと、「仏教とヒンドゥー教はブラザーの宗教(バラモン教を母体に生まれた)だから、仏教に親しみは感じているけど、いまのインドに仏教はほとんど残っていない。くわしいことは分からない」と言う。
1人はラダックのチベット仏教のお寺に行ったことがあったけど、ほかの3人は日本に来て初めて仏教寺院に入った。
このへんの話には興味を示さなかったタンザニア人が円相に食いついた。
寺に小さくキレイに描かれた円相が飾ってあるのを見つけて、先ほどのような説明をしたところ、「この丸にそんな深い意味が込められているとは。これがまさに日本人の思想だと思う」といった感じにみんな高評価。
特に感激したのが大学時代に茶道体験をしたタンザニア人。
彼はそのとき、茶道ではひとつひとつの動きにそれぞれ意味があるという説明を聞いて、一見何気ない動作にも実は大切な目的があると知って感銘をうけた。
代表的なアフリカ文化である歌とダンスは分かりやすくてアピール力が強いから、茶道とは発想の根本がまるで違っていて、彼には興味深かったらしい。
逆に日本人がアフリカの歌や踊りを見たら、日本文化にはないような躍動感やエネルギーを感じると思う。
一目見ただけで、そのまま通り過ぎてしまうような小さい禅の円相にも茶道と同じ精神を感じた彼は、「これを僧は墨と筆を使ってワンストローク(一筆)で描いたんだろ?信じられないよ。日本の文化はとてもシンプルだけど深遠なんだ」と話す。
そりゃどうも。
岡倉天心
では最後に、禅と茶道の関係について、日本の茶道を世界に紹介した思想家の岡倉天心(1863年 – 1913年)の言葉に耳を傾けよう。
仏教徒の間では、道教の教義を多く交じえた南方の禅宗が苦心丹精の茶の儀式を組み立てた。僧らは菩提達磨の像の前に集まって、ただ一個の碗から聖餐のようにすこぶる儀式張って茶を飲むのであった。
「茶の本 岡倉 天心」
日本人はこの中国の茶の儀式を発達させて、15世紀に茶の湯を完成させたのだ。
「茶の本」についてくわしいことはここをクリック。
米国ボストン美術館で中国・日本美術部長を務めていた天心が、ニューヨークの出版社から刊行した。茶道を仏教(禅)、道教、華道との関わりから広く捉え、日本人の美意識や文化を解説している。
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円相については私も少し知ってはいたのですが。
最近のハリウッドSF映画に、「メッセージ ーあなたの人生の物語ー」という作品がありまして、それに出てくる宇宙人の言語がその円相にそっくりなんです。Youtubeの予告編とかで見てください。
この作品、きっと禅宗にヒントを得たのでは?と色々調べてみたのですが。どうやらその形跡は無し。
もしかすると作者は、禅僧と同じ悟りを開いたのかもしれないですね。
鉛筆で、さえも、円を描くのは難儀な僕です。脳の為にも、何回も書こう\(^^)/