日本できょう1月15日は小正月にあたり、めでたい正月が完全終了する日だからやや悲しい。
一方、エジプトでは1971年のこの日、ナイル川上流にアスワン・ハイ・ダムというバカでかいダムが完成して人々は歓喜・感涙した。
*サイトによっては1970年と書いてあるけど、このへんは「完成」の理解の仕方によるらしい。ここで日付は些事だからスルーさせてもらう。
人間が生きていくうえで、水を欠かすことはできない。
それにいろいろと便利だから、大きな川沿いに都市をつくる発想は東京・ロンドン・バンコクなど世界中にある。
「エジプトはナイルの賜物(たまもの)」とギリシャの歴史家ヘロドトスが表現したように、エジプト人にとって古来からナイル川は特別重要、まさに命の源泉だ。
農作物がよく育つ肥沃な土壌を上流から運んできてくれたおかげで、世界四大文明のひとつが築かれたのだから。
このナイルからのプレゼントがなかったら、いまごろピラミッドやスフィンクスはあったかどうか。
ただすさまじいパワーをもつ自然は、人間に利益と同時に害ももたらす。薬にもなれば毒にもなる。「RIZIN」にとってのシバター選手のように。
ある日いきなり上流から「ドドドドド!」っと大量の水が押し寄せてきやがると、人間界は大ダメージを受けて多くの命や財産は失われて、復旧には時間と手間がかかってしまう。
でもエジプトの人たちは、豊かな恵みも運んでくれるナイル川から離れて暮らすことはできなかった。
360度どうみても一番の理想は、この暴れ馬のような川を人間のコントロール下に置くこと。
だからダムを建設して、流れを制御するという発想は必然的に出てくる。
でも相手は、世界的大河のあのナイル川だ。
化け物みたいなパワー(水量)と勢いのある河だから、これを人間がねじ伏せるには10年の年月と10億ドルを必要とし、高さ111 m、全長3600mの堤を持つアスワン・ハイ・ダムを現出させた。
それに付随して、表面積5250 km2という巨大な人工湖・ナセル湖も登場。
このダムの完成によって、毎年のように起きていたナイル川の氾濫を防ぐことができるようになったし、水力発電装置によって大規模な電力供給が可能になり、人々の生活は安定し豊かになった。
「エジプトはナイルの賜物」はいまも基本的に変わっていない。
エジプトと同じく、世界四大文明の一角に中国がある。
よく大洪水が起きて困っていた古代中国で、禹(う)という人物が治水に成功すると、父親の舜(しゅん)から「おまえに託(たく)そう」と国を譲り受け、禹は夏(か)という王朝をスタートさせる。
*夏(紀元前1900年ごろ~紀元前1600年ごろ)の次が殷(いん)王朝だ。
この夏は「実在した可能性がある」というレベルで禹や舜も伝説的な王だから、どこまでがリアルなのかはわからない。
でもこの話からは、川の流れをコントロールできる人物には、一国をまかせられるという考え方があったことがわかる。
「治める」という漢字の成り立ちがそのことをよく示している。
この漢字をばらすと、河を表すサンズイ、農具の鋤(すき)を表す「厶」、神への祈りの言葉を入れる容器を表す「口」になる。
「台」は神に豊作を祈願する儀式のこと。
くわしいことは共同通信のコラムを。
人は川と共存しないといけなかったけど、その流れは気まぐれで凶暴だから、翻ろうされることはよくある。
大阪の淀川にかかっている長柄橋(ながらばし)の有名な人柱伝説はそんな背景からうまれた。
古代中国では荒ぶる川の流れを鎮めるために、人間を生贄にしたという話もある。
川があればそこに人が集まって、やがて国家ができる。
最も大切な食糧を安定して確保するためには、人間の努力や神に祈る儀式が必要になるという考え方は世界中にあった。
だからそれに直結する治水についての知識や能力のある人間は、有能な王として国を治めることができた。
ナイル川とうまく付き合って国を繁栄させることは、エジプトのファラオ(王)にとって最も重要な資質だった。
こうした発想も世界中にあるはず。
エジプト在住日本人の怒りの素、アラブ人の性格「IBM」とは?
> 古代中国では荒ぶる川の流れを鎮めるために、人間を生贄にしたという話もある。
> 『じつは怖い「饅頭」の由来。孔明が生け贄を肉まんに変えた説』
うーん、もうちょっと説明がほしいです。これでは、まるで「治水目的で諸葛孔明が人間を生贄にした」ようにも読めてしまいます。(注意して読めばそうでないと分かるのですが、今の日本人にはそれは無理でしょう。)
2行目にある元々の記事を辿ってもらうと分かります。名宰相であった諸葛孔明は、住民たちに、治水のために「人間を生贄にする」という野蛮な風習を止めさせ、その代わりに饅頭を供物としたのです。