1960~70年代に行われた北ベトナムと南ベトナム(というアメリカ)との戦い、ベトナム戦争では、アメリカをはじめ世界中で起きた反戦デモが決定的な影響を与えた。
それを生み出したのは“戦場カメラマン”。
このとき人類の歴史上、初めて戦地にテレビカメラが入って戦争の様子を世界中へ伝えた。
このころはテレビ放送が一般家庭にも普及していたから、遠く離れたベトナムで行われた戦闘がその日のうちに、アメリカや各国のお茶の間に映し出された点がそれまでの戦争とはまったく違う。
このときの報道はわりと自由にできていた。
記者が行きたいところを自分で決めて、米軍のヘリなどで兵士と一緒に戦地まで移動して、自由に動き回って好きな写真や映像を撮ることがかなり認められていたという。
その結果、血を流して苦しそうなうめき声を上げるアメリカ兵の姿、銃弾を浴びて倒れるベトナムの市民や泣き叫ぶこどもといった、生々しくてショッキングな映像テレビ画面で流された。
一般人が自宅で戦争を“共有”したのは、ベトナム戦争が歴史上初めてだ。
こうした映像が米政府の強調する“正義”を否定することも多々あった。
それでテレビ放送が大きな世論を形成していき、アメリカでは大規模な反戦デモが各地で発生し、90%以上が戦争に賛成していた空気が壊れて、「遠いインドシナ半島の地で、何のためにアメリカ軍兵士が戦っているのか」といった厭戦ムードが広がっていく。
民主主義国である以上、アメリカ政府もそれを無視できなくなってやがて撤退(敗戦)をきめた。
そんなことからベトナム戦争は「メディアが終わらせた戦争」とも言われる。
1739年にイギリスとオランダとの間で「ジェンキンスの耳の戦争」が勃発した。
イギリス人船長のロバート・ジェンキンスがスペインに捕まった際、耳を切り落とされたと主張し、塩漬けにされたその耳を証拠としてイギリス議会に提出したことが戦争のきっかけになる。
映像のなかった時代には、実物や言葉で人々に訴えかけて世論を形成していた。
【ジェンキンスの耳の戦争】18世紀のイギリス・スペインの対立
ウォルポール英首相に切断された耳を渡すジェンキンス
「いや見たくないし」と言ってそうなウォルポール。
ベトナム戦争のあと映像技術は飛躍的に進化していき、お手ごろ価格の映像機器が広く出回るようになったことで、一般人でも気軽に動画を撮ることができるようになる。
2004年に、ジャネット・ジャクソンがスーパーボウルでのパフォーマンス中、胸を露出してしまったというエロハプニングと、20万人以上の死者を出すスマトラ島沖地震が起こきた。
ある人物がネットでその動画を探したけど、どっちの動画もなかなか見つけることができずにイライラする。
そんな経験から、動画共有サイトの「YouTube」が生まれた。
ユーチューブの創立者の一人で、「ある人物」のジョード・カリムがそう話している。
ジョード・カリムが公開したユーチューブ初の動画「ミー・アット・ザ・ズー」
いま行われいるロシアとウクライナの戦争でも、すでに「人類史上初」の出来事がいくつか起きている。
原子力発電所が攻撃を受けたということがそうだし、一般市民が自宅からスマホで戦闘の様子を撮影して、世界中へ発信していることもそうだ。
これはお茶の間に戦闘の様子を届けたベトナム戦争と、一般人がリアルタイムで動画を共有するユーチューブが合体したようなもの。
ただ市民が撮影する動画だから足を失って血だらけの女性とか、路上に放置されている死体とかショッキングなものもよくある。
ウクライナ戦争で、いま世界中の世論や空気に大きな影響を与えているのがこうした映像だ。
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