日本の「ウクライナ降伏論」を、ポーランド人はどう思う?

 

1775年3月23日、イギリスとの独立戦争を始めるにあたり、ヴァージニアの議員パトリック・ヘンリーはこう言った。

「自由を与えよ。しからずんば死を与えよ」

こんな声とは反対に、いまウクライナで行われているロシアの軍事侵攻について、ウクライナは降伏するべきというこんな意見が日本で出ている。

「どこかでウクライナが退く以外に、市民の死者が増えていくのは止められない。」
「ウクライナ人はプーチンが死ぬまで国外退去して、数十年後に国を再建せよ。」

戦闘が続けば続くほど、市民の犠牲者は増えていく。
人命を第一に考えるなら、ウクライナ政府はロシアへの降伏や譲歩を決断した方がいい。
日本人のそんな「ウクライナ降伏論」についてどう思うか、まわりの外国人に聞いてみるとみんな「ノー」と首を横に振る。

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日本人の“降伏論”に、ヨーロッパ人が「NO!」と言う理由

今回はウクライナと国境を接していて、今回の戦争をかなり身近に感じているポーランド人から話を聞いたんで、以下、彼女の意見を紹介しよう。

 

ポーランド国内で「ウクライナは降伏すべき」なんて声は聞いたことがない。
ポーランドとウクライナにはロシア(旧ソ連)に支配されていた過去があって、その時代がどれほど悲惨だった知っているから、あの時代に戻ることを考えればウクライナ人は降伏を選ばないだろう。

ポーランドではその時代、ロシア語が公式の言葉になっていて、政府や役所ではロシア語を使うことを強要されたし、ポーランド人が自国の言葉を使うことは禁止された。
ポーランド語を家で話すことはできたけど、自国の言語や伝統を否定されることはかなりの屈辱。
学校ではソ連に愛国心を感じるような教育がされていて、ポーランドの精神や文化は失われていく。これは耐えがたいことだ。
ソ連政府はポーランド人の医者や教師など、高い教育を受けていてソ連に反対しそうな人たちを虐殺していき、自分たちに歯向かうことを不可能にさせた。

 

以下はこのポーランド人の話ではなくて、ボクが調べたこと。
第二次世界大戦ではポーランド軍がソ連に降伏すると、多くのロシア人がやって来てポーランド人の「ロシア化」が進められた。
大学ではポーランド文学やポーランド語研究の講座が廃止されて、ロシア語講座と文学講座が開かれるなど、ポーランド人の民族としての記憶は消去されて、別の新しい記憶が刻まれていく。

全てのマスメディアはモスクワにコントロールされるようになった。ソ連による占領では恐怖政治によって警察国家のような政体が実施された。(中略)ソ連の法律によると、併合された地域の住民は全て「旧ポーランド」市民と呼ばれ、ソ連の市民権が自動的に与えられた。

ナチス・ドイツとソビエト連邦によるポーランド占領

 

2万以上のポーランドの軍人や市民がソ連に虐殺された「カティンの森事件」が起きたのもこのころ。
ソ連側はこの虐殺をドイツがやったことだと責任転嫁していて、自身の罪であることを認めたのは戦後数十年も経ったあと。
いま起きている虐殺を「ウクライナのしわざ」と主張する姿に重なる。

 

双頭のワシ(ロシア)から子供を守るウクライナ人の母親
100年ほど前のポスターで「他国のものは要らないが、自国のものは渡さない!」と書いてあるらしい。

 

「くわしいことは分からないけど、主権を奪われて、ソ連の支配下にあったウクライナも同じ状況だったと思う。」とポーランド人が言うから調べてみると、ウクライナ人が受けた苦しみはそれと同じか、さらに悲惨だ。

20世紀初め、キーウ(キエフ)がソ連に占領されると、街中のウクライナ人が無差別に逮捕、処刑されて、少なくとも2000人が殺害された。(ウクライナ・ソビエト社会主義共和国
こうした蛮行を見て、ウクライナ人の間で反ソ連反感情が高まっていく。
ソ連側もそんな悪感情を考慮して、一時はウクライナ共産党の幹部にウクライナ人が登用され、政府職員がウクライナ語を話したりウクライナ語の公刊物も認められた。(つまりそれ以前はこの逆)
でも、1927年にスターリンが最高実力者になるとすべてが暗転。

1930年代にソビエト政府は「ホロドモール」という飢餓状態を意図的に起こし、400万~1000万人のウクライナ人を殺害したとされている。ウクライナ政府はこれをジェノサイド(集団虐殺)と認定した。

ソ連・日本・中国の人肉食。ホロドモール、天明の飢饉、文化大革命。

 

ソ連政府によるウクライナ人の「ロシア化計画」は進んでいく。
多くのウクライナ人の知識人や芸術家が殺害されて、ウクライナ人は再びロシア語を学ばなければいけなくなり、出版物もウクライナ語からロシア語へと変えられていった。
言語そのものもロシア人の都合で変更される。
たとえばウクライナ語の文字「Ґ」(ゲー)はロシア語にはなかったから、この文字が廃止されるなど、全体的にウクライナ語はロシア語に近くなっていく。

政治でもウクライナ排除が行われた。
ソ連は「ホロドール」が起きた責任をウクライナ人に押し付けて、多くのウクライナ共産党員が粛清された。(1933年~34年の1年間で10万の党員が消えたという。)
ウクライナ政府の閣僚17人全員が処刑されたし、首相は自殺に追い込まれた。
こうしたウクライナ人にかわって、スターリンの部下たちがやって来てウクライナ支配を強化する。
ウクライナ人がソ連から解放されたのは1991年だ。

 

知人のポーランド人の話ではロシアは信用できないし、信じてはいけない。
降参すれば命は助かる、なんてことも期待できない。
市民の犠牲が出ていても、自国の平和と安全のために戦いを継続しているウクライナの選択は正しいし、同じ状況になったら、ポーランド人もロシアと戦う。
ソ連から独立した国は、絶対にロシアに占領されたくないと思うから、という話をする。

現状を見るとこの意見は正しい。
ロシア軍が去った都市にウクライナ軍が入ると、おびただしい数の遺体が路上に放置されていて、両腕を後ろに縛られて処刑されたとみられる遺体がいくつも見つかった。
もちろんこれらは一般人だ。
ウクライナ軍が都市を奪還したからこうした証拠を押さえることができたわけで、ロシア軍の占拠が続いていたら、こうした虐殺の痕跡はキレイに削除されていたはず。
ウクライナの全土でこうした惨劇が起こることを考えると、ロシアに妥協して軍の侵入を許すことはかなりリスキーだ。
「降伏すれば命は助かる」という認識が絶対に通じない相手もこの世界にはいる。

「自由か、それとも死か?」は文学的な表現ではなくて、いまのウクライナでは切実に現実的で究極の二択になっている。

 

かなり衝撃的だけど、これが戦争の現実でいまウクライナで起きていること。
動画は自己責任で見てくれ。

 

 

 

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1 個のコメント

  • ロシア帝国、ソ連
    「日本もウクライナのような高い愛国心と国防意識を持ちたいって?
     だったら、1920年代から1990年代までウチらの領土になって、自国産の食糧が収奪されたり、日本人全員がシベリアへ強制移住させられた歴史を経験すればいい。
     ”経済の遅れ”という治療費を払う羽目になるけどな」

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。