先週の金曜日、女性や子どもを中心に4000人ほどが集まっていたウクライナ東部の駅に、ロケット弾が撃ち込まれて50人以上が死亡した。
ウクライナの発表では戦闘を避けるために、数千人の市民が避難用の列車を待っていたところをロシア軍が攻撃したという。
ウクライナのゼレンスキー大統領は「際限のない悪」とロシアを非難すると、ロシア側は、攻撃したのはウクライナ側でこれはフェイクニュースだと主張し、戦争犯罪をしているのはウクライナだと逆非難。
こうした状況に対して日本では、「戦争には両方の言い分があります」とか「日本は中立の立場で両方の国の事を調べる必要があります」という人がいる。
でも欧米ではこういう「どっちもどっち」論を認めない人が多い。
先月に行われた国連総会で、ロシアに対して即時の完全無条件撤退を求める決議が採択されるとき、オーストリア大使が演説でこんな話をした。
「中立とは価値観の中立のことではない。また一方的で、正当化できない国際法違反に対し、なんの立場も取らないということでもない。被害者と侵略者をしっかりと区別する決議案を私たちは支持する。」
現状ではロシアが一方的にウクライナへ攻め込んで、ウクライナの民間人だけに死傷者が出ている。
そのなかで起きた戦争犯罪を「それぞれに言い分がある」とみるのは中立でも公平でもなくて、ロシア側に立つことと同じ。
中立とは、まず被害者と侵略者をしっかりと区別することだ。
駅へのミサイル攻撃については、それが確実にフェイクニュースだと証明されるまでは、基本的にウクライナ側の主張が正しいと受け取ってロシアを非難するべき。
これ以前にもロシア軍は病院や原子力発電所を攻撃したし、ロシア占領下の都市では民間人の遺体がいくつも路上に放置されていた。
日本や欧米諸国は中立・公平の立場からこれらを含めて、今回の戦争でのロシアの行為を「戦争犯罪」と非難している。
いま世界的な話題を集めているのがこの一枚
自分たちが死んで子どもが戦争孤児になった時のことを考えて、自分が誰なのか分かるように、親が背中に名前や生年月日を書いた。
この写真がいま世界の注目を浴びている。
(写真は親がインスタに投稿した写真のキャプチャー)
ただ、被害者/侵略者をしっかり区別することを中立とする国があれば、ウクライナとロシアのどちらとも距離をとって、”中立”の立場から同じように眺める国もある。
ロシアを非難する国連決議を詳しく見ていくと、193カ国のうち140カ国が賛成し、ベラルーシ、北朝鮮、エリトリア、ロシア、シリアの5カ国が反対し、中国、インド、ベトナムなど38カ国は棄権した。
棄権の立場を示した南アフリカは、国連総会でロシアの責任に言及しない決議案を提出して、アメリカやウクライナなどを激怒させる。
この行為は、国際社会はロシア非難で一致しているわけではないという印象を与えたから、欧米にとっては許しがたいはず。
南アと同じようにアフリカの多くの国がウクライナ侵攻について、ロシアを非難する決議案に棄権票を投じた。
この“中立”の理由に興味があって、最近タンザニア人と話す機会があったから、「どっちもどっち」のワケを聞いてみた。
するとまず彼は、今回のウクライナ戦争にアフリカの国はかかわるべきではないと言って、棄権を正しい選択だと評価する。
そのタンザニア人から見ると、いまは草原で2頭の巨大な牛がぶつかりあっている状態だ。
ロシアとそれを支援する中国などの勢力と、アメリカと西ヨーロッパの勢力が戦っていて、戦場となっているウクライナはいわば草原で、多くの草が踏み倒されて大地が傷ついている。
*こういう比喩はなんかアフリカ人っぽい。
彼はこれをロシアとウクライナの戦争というより、大きく西側と東側との戦争と見ていて、どっちかに肩入れすれば巻き込まれてしまうから、タンザニアをはじめアフリカの国は不干渉の立場でいた方がいいと言う。
(もちろんロシアを非難する決議に賛成した国もある)
それにアフリカには中国の経済支援を受けている国も多いから、心情的にはウクライナに同情しても、損得を考えれば我関せずの「中立」でいるべき。
西側はプーチン氏を独裁者と非難するけど、アフリカにはもっとヒドイ権力者が何人もいたから、独裁者に慣れていてそれにはあまり嫌悪を感じない。
歴史を見れば、フランスやドイツなど西ヨーロッパの国はアフリカの国を植民地支配したり、人々を奴隷として売買の対象にしていたけど、ロシアはアフリカでこんな蛮行をしなかった。
その時代は、“未開の人間”に文明を与えて、正しい方向に教え導くことが「白人の責務」であると胸を張って言うヨーロッパ人もいたし、それが常識的な考え方だったと思う。
西ヨーロッパの国は一方的に資源を奪うなど、自分たちの利益のためにアフリカで好き勝手なことをしていたのに、いまになって「我々の味方になれ。それが正義だ人道だ。」と言われて誰が耳を貸すかとタンザニア人は怒る。
全体的に彼は現状を東西の代理戦争で、ウクライナをその犠牲者とみている。
東側・西側がそれぞれ自分の利益を優先しているし、どっちが勝ってもアフリカには直接関係ない。
同じようにタンザニアも利益を第一に考えれば、争いに巻き込まれないように、どちらとも等距離を置いて不干渉の立場を貫くことが最善。
この態度は、
「中立とは価値観の中立のことではない。また一方的で、正当化できない国際法違反に対し、なんの立場も取らないということでもない。被害者と侵略者をしっかりと区別する決議案を私たちは支持する。」
という見解の真逆だ。でも、そう言う西ヨーロッパが過去にしたことを思えば、アフリカ人としては「オマエがいうな」と鼻白む思いかもしれない。
このまえの4月11日は、1994年に「公立技術学校の虐殺」があった日だ。
ルワンダではこの年、フツ族(フツ系)の政府とフツの過激派によって、ツチや穏健派のフツの人たちが次々と殺害され、犠牲者100万人ともいわれる「ルワンダ虐殺」が起きた。
フツとツチの対立を作るなど、この惨劇を引き起こした責任の何割かは西ヨーロッパ諸国にある。
ルワンダで大虐殺が行われているなか、2000を超える人たちがフツ過激派の襲撃から逃れるために学校へ避難して、国連平和維持軍のベルギー兵がその警護を担当していた。
でも4月11日、学校が取り囲まれているにもかかわらず、ベルギー兵が任務を放棄してその場から去ってしまったため、それが合図となって過激派が学校を襲撃し、子ども数百人を含む約2000人の避難民が一斉に虐殺された。
このときの欧米の反応は、駅で50人の白人が殺された時とはまったく違う。
理由はハッキリ分からないけど(たぶんベルギーの都合)、国連平和維持は避難民を見捨てた。
またこのとき国連安保理は、同時期に起こったヨーロッパの争い(ボスニア紛争)の解決には積極的だったのに、アフリカには冷たかった。
ルワンダの平和維持軍削減を決めた国連安保理決議第912号を可決したのと同じ日に、ボスニア内における安全地帯防衛の堅持を確認した国連安保理決議第913号を通過させたことから、差別的観点からヨーロッパをアフリカよりも優先させたとの指摘がなされている。
こうした経緯を考えると日本と違って、アフリカの国が国連でアメリカや西ヨーロッパを怒らせても、”中立”の立場を示すのも仕方ないかなと思う。
これをどっちもつかずの卑怯な「コウモリ」とは違う。
ルワンダ虐殺の動画
> こうした経緯を考えると日本と違って、アフリカの国が国連でアメリカや西ヨーロッパを怒らせても、”中立”の立場を示すのも仕方ないかなと思う。
それは全くその通りです。アフリカの人々であれば、そのように西側諸国に向かって「主張する」権利があります。
だけど日本人はそうじゃない。なぜなら、現在の日本は「民主主義と自由・人権・法治を重視する西側先進国」の一員だからです。また、今後もその勢力の一部として活動していくのでない限り、日本の繁栄はあり得ず、それどころか存続さえも危うくなるでしょう。