ウンザリするキリスト教の独善性、外国人が驚く日本人の寛容

 

数年前にアメリカ人、トルコ人、リトアニア人、インド人、インドネシア人という多国籍な集団で、愛知の豊川稲荷へ初詣に行った。
でそのとき、人種も宗教圏もちがう彼ら一同が驚いたのがこの光景。

 

 

豊川稲荷の門の前で、初詣に来ている日本人に向かって仏教や神道を否定して、キリスト教の布教活動をしている。

モスクへ礼拝に来た信者に向かって、ヒンドゥー教徒がイスラム教を否定したら?
イスラム教徒がこんなプラカードを持って、ヒンドゥー寺院の前で布教していたら?

国によってはケンカだけでは済まずに、人が殺されるかもしれない。
最低限の国際的なマナーや常識もないこの光景を見て、外国人は「彼らは何をやっているんだ!」と怒ると同時に、「日本人はとても寛容なんだね」と感心する。
ただアメリカ人は「彼らの言葉を聞いたら、アメリカの英語だった。なんて恥ずかしい連中だ。」と困っていた。
くわしいことはこの記事を。

外国人が初詣で衝撃!アメリカ人キリスト教徒の“歪んだ信仰心”

 

アメリカやヨーロッパではキリスト教を、「熱心に」を超えて、もはや狂信的に信じている人たちがいて、その中には、自分の信仰だけが唯一絶対に正しいと思い込み、キリスト教以外の宗教を全否定する人もいる。
もちろんそういう独善的で一方的な信者は例外で、そういう人にウンザリする人の方が欧米では圧倒的に多い。
上とは別のアメリカ人は、「地球上に恐竜なんていなかった。そんな話はウソだ。聖書にそんな記述はない。」と真顔で話す人と会ったことがあると言う。
「なんでこういう人は、21世紀になっても絶滅しないのか?」と不思議に思ったとか。

これぐらいならまだいいとして、たぶんアメリカの地下鉄で起きたコレはもうヘイトだ。

 

 

白人男性がおそらくヒンドゥー教徒のインド人に、キリスト教の正しさを強要して、周囲の人間から「いいからもう黙れよ。」とたしなめられている。
動画へのコメントを見ると、「その人はクリスチャンとして自分の仕事をしたんだ。それは偉大な使命だよ。」という支持(皮肉かも)はごく少数で、ウンザリする人が圧倒的だ。

「what you have done is wrong.. you trespass to others freedom…& that’s not love, You cannot impose word of God ,it is free choice..」
(あなたがしたことは間違っています…あなたは他の人の自由を侵害していて、それは愛ではありません。神の言葉を押し付けることはできません。それは自由選択なのです。)

「So as a Cristian u must impose ur faiths and believes to everyone ? People were living on earth long before ur Jesus Christ and entire Christianity was born…」
(あなたはキリスト教徒として、自分の信仰をみんなに押し付けなければならないのですか?イエス・キリストやキリスト教が誕生するずっと前から、人間は地球で生活していたのです。)

 

数百年前のヨーロッパでは、宗教の違いは戦争を始める十分な理由になったから、神の名の下に多くの人が殺されて血が流された。

日本とドイツの違い:欧州で最大&最後の宗教戦争・三十年戦争

21世紀の欧米では、宗教をめぐって国が戦争することはなくなったけど、個人レベルの争いならまだまだある。
そんな対立をなくすため、1982年のきょう5月29日、当時のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世がローマ教皇としては初めて、イギリス国教会のカンタベリー大聖堂を訪問した。
さらにエリザベス2世と会って、1534年に国王ヘンリー8世が自分の離婚問題でカトリック教会と縁を切って以来、448年ぶりにイギリス国教会とローマ・カトリックが和解する。

ヘンリー8世の「女と宗教」を、現代イギリス人はどう思う?

ヨハネ・パウロ2世は異なる宗教や文化に理解を示し、積極的に交流を行った。
キリスト教の独善性や絶対性は、いまの時代の価値観には合わないと思ったのだろう。
ヨハネ・パウロ2世はこれ以外にも、カトリックの教皇として初めてイスラム教のモスクやユダヤ教のシナゴーグを訪問したし、日本の天台宗・大阿闍梨とも会見を行っている。
ついでにいうとヨハネ・パウロ2世は、A級・BC級戦犯として連合国に処刑された日本人のためにサン・ピエトロ大聖堂でミサをしたこともある。(ヨハネパウロ2世

そんなローマ法王の努力があっても、違う宗教が存在することを許せない独善的なアホはいる。
一神教にとって、「宗教の寛容」のハードルはそれほど高くて険しい。
といっても、異なる宗教や文化へとの和解を進めるローマ法王でも、サン・ピエトロ大聖堂の前で「ブッダ以外に救いは無い」なんてプラカードを掲げる行為は、キリスト教への冒とくとしてきっと認めない。
日本人の寛容というより、宗教への無関心はちょっとおかしいレベル。

 

 

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外国人から見た日本と日本人 15の言葉 「目次」

多文化共生社会 目次

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【文化の違い】在日ドイツ人がクリスマスカードに選んだもの

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3 件のコメント

  • > 日本人の寛容というより、宗教への無関心はちょっとおかしいレベル。

    それは、何をもって「宗教」の定義とするかによるでしょうね。
    たとえば、「和を以て尊しとなす」を道徳と考えるか、宗教と考えるか、単なる昔の偉人の忠告と考えるか。
    他国から今まさに侵略されている国の人々に向かって「まあとにかく何でもいいから武器を置いて、話し合いで平和的に解決することを相手に呼びかけなさい」と自分たちの考えを押し付ける人は、日本人にとても多いと思います。こういうのを私は「ニッポン平和祝詞教」とでも呼びたいところです。

  • <<<日本人に向かって仏教や神道を否定して、キリスト教の布教活動をしている。

    歪んだ舶来品信仰ですね。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。