きょう6月1日は、日本では「衣替え」の日で季節が変わり、古代中国では王朝が替わった日だ。
907年6月1日、朱全忠が唐の哀帝(あいてい)に禅譲(ぜんじょう)をさせて自分が皇帝になり、唐を滅亡させて新王朝の「後梁」を開く。
*禅譲とは、皇帝が自分の子孫ではなくて、別の血筋で徳のある立派な人間に皇帝の地位を譲ることを指す。
朱全忠は禅譲を強要したあと、“用済み”になった哀帝を殺害する。
朱全忠だけど、質問ある?
千年以上前からある中国との交流の歴史で、日本が最も強く影響を受けた時代は唐だった。
朝廷は優秀な人間を選んで遣唐使として派遣し、唐の都・長安で先進的な制度や文化を学ばせて、それを人本に持ち帰らせる。
そしてその後、日本の国柄や価値観に合うよう、独自のアレンジを加えながら国を発展させていった。
平安京は長安をモデルにしてつくられた都市で、「平安」のネーミングも長安を参考にしたと思われ。
唐で仏教を学んだ最長や空海は、その後の日本にとてつもなく大きな影響を与えたし、みかん、薬、お茶なども唐から日本へもたらされて生活を豊かにした。
そんな京都について、中国メディアの「捜狐」がコラムでこんなことを書いている。
Record China(2016年8月26日)
京都の歴史的な建築物を前にすると、タイムスリップしたような錯覚におそわれる。その風景はまるで絵のようで、中国人が思い描く唐代の光景が広がっている。
日本に“盗まれた”中国の古都、この言葉に込められたメッセージとは?―中国メディア
中国の古都が日本に「盗まれた」というのは、悔しさやほめ言葉と理解しておこう。
唐の時代に繁栄した都・洛陽も、その後の戦乱で徹底的に破壊されてしまい、いまの洛陽はその“跡地”に建てられた別の都市でしかない。
だから唐の影響を強く受けていて、一度も滅亡することのなかった日本の京都になら、千年以上前の中国の王朝文化がいまでも息づいているという。
そんなことで、唐代の洛陽を見たいのなら「なおさら京都に行くべきだ」とコラムは推す。
もちろん、畳も神社も枯山水も日本人の発明で中国にはなかったし、日本で独自に発展した京都は唐の洛陽とまったく違うけど、中国人からすると千年以上前の古都の雰囲気は京都にこそ残っている。
2泊3日で京都旅行をした知人の中国人に感想を聞いたら、古い木造の建物や石畳などを歩いていると、唐朝の中国を感じて感動したという。
初めてなのに懐かしい、みたいな。
でも同時に、長い中国の歴史のなかで、一体どれほどの素晴らしい文化や貴重な文物が失われたか想像すると、とても悲しくなったと。
京都を旅行して、懐かしさ・嬉しさ・虚しさを感じるのは中国人ぐらいでは?
唐の武則天の時代、洛陽は「神都」と呼ばれた。
以下、余談
京都市はきょうから、動物園の入園料を620円から750円へ値上げした。
二条城(市営)の入城料も620円から800円になり、ほかにも使用料を値上げした市営施設がある。
この怒とうの値上げラッシュは、いま京都市が深刻な財政難におちいっていて、10年以内に「財政再生団体」に転落する可能性があるからだ。
財政難からの値上げって、もう破綻フラグでは?
でも一方で、こんなことをしたりする。
「来庁者へのおもてなし」というのなら、IT化を進めて来庁する必要をなくすべきでは。
唐は10世紀に朱全忠によって滅ぼされて、21世紀の京都市は借金によってダメになるかも。
韓国のソウルを漢字で書けない理由:漢城?京都?首爾(首尔)?
> 唐の影響を強く受けていて、一度も滅亡することのなかった日本の京都になら、千年以上前の中国の王朝文化がいまでも息づいているという。
京都市街の名前も「洛中」ですからね。中国人のそのような感じ方は何となく分かります。
それでは、奈良の天平文化や飛鳥についてはどう思うのですかね? いくら中国仏教の影響が色濃く残ると言っても、日本の独自性も強い地域ですから、さほどの親近感・懐かしさは感じないのかな?
う~ん、奈良については聞いたことないですね。どう思うのかな?