平安時代は流刑地だった伊豆、現代の外国人はどう思う?

 

知人のインド人が仕事で伊豆へ行って、ホテルで一泊した翌朝、窓の外に広がるこんな景色(下の写真)に感激しSNSにこう書き込んだ。

「What a lovely morning to start a new day!」

 

 

伊豆旅行で「恋人岬」へ行ったインド人は、山の緑とキラキラした海を見ながら歩いていたら、最後に水平線の絶景が待っていたと感動したようす。

「While strolling through the greenery and shimmering sea, at the end, was greeted by a magnificent view of the horizon.」

 

 

どこぞの外国人は伊豆について、晴れた日に緑の森と青い海、そして島々を眺めるのは最高ですという。

Happiness is the view of green forests, and blue sea & islands on a bright sunny day.

伊豆を旅行した外国人に感想を聞くと、国籍や宗教に関係なく、こんな感じにみんな豊かな自然に感動して伊豆を絶賛する。
山と海のほかにも、「このまま死んでも本望」と思えるような温泉が伊豆にはあって、知人の台湾人はそれを目当てにやってきた。
それに、スケールのデカいハ虫類も見ることができる。

 

 

そんな魅力満載の「伊豆」の語源を調べてみるとこんな説がある。

・伊豆半島は本土から太平洋へ突き出たような形をしているから、「出づ(いづ」と呼ばれるようになった。
・海上の船から見ると、伊豆半島は海から突き出ているように見えるから、「海から出づ」の意味で「出づ」になった。
・温泉がたくさんあることから「ゆづ(湯出)」で、それがイズになった。

中国の東、太陽が昇るところにある日本を「日出ずる国(ひいずるくに)」と呼んだように、むかしの日本人は「出ず(づ)」という言葉を使っていた。
島か温泉か不明ながら、基本的に「出る」が「伊豆」の由来になったことは間違いなさそう。

 

海から出づ

 

きょう6月11日は平安時代末期の1173年に、京都にある神護寺の再興を後白河法皇に訴えた僧の文覚(もんがく)が捕まった日。
この文覚という坊さんは、ただ者ではない。
袈裟御前(けさごぜん)という人妻を好きになって、その夫を殺そうとしたら、間違って愛する袈裟御前の首を切断してしまったというウッカリさんで、文覚はその事件で出家をきめたという。

そんな荒っぽい文覚だから、後白河法皇に訴える方法も激しかった。
平安時代には寺や神社に仕える人間、僧兵や神人が神や仏の権威を利用して朝廷へ押しかけ、無理やり自分たちの要求を通そうとする「強訴」をしていた。
平安貴族は神罰や仏罰を恐れていたから、彼らの要求はわりと通ってしまう。
文覚は後白河法皇の御所に強訴して、大声で神護寺の再興を求めたことで投獄される。
それが許された後も文覚は「この世はもうすぐに乱れて、君も臣も滅び去るであろう」とか言い出して世間を騒がせたから、京都にはおけないということで伊豆への流刑に処される。

 

出家する前の文覚。
人妻の夫を殺そうと寝室に忍び寄るところ。

 

死刑のなかった平安時代、最高刑は主に流罪で、その対象地に隠岐や佐渡や伊豆があった。
隠岐や佐渡は周囲を海に囲まれた完全な島なのに対し、伊豆は陸続きの半島なんだけど、律令法では流刑地になっていて文覚はここへ送られた。
ウィキペデアの伊豆国には、「これは伊豆諸島がと並んで辺境の島であると考えられ」との説明がある。
文覚は伊豆で、同じく流罪になって京都から飛ばされた源頼朝と出会って仲良くなり、「おまえさあ、謀反起こしちゃいなよ。平家を打倒しちゃえよ」と決起をうながしたという。

 

むかしの伊豆は、犯罪をおかした人間が罰として流される場所だった。
伊豆旅行をした外国人にそんな話を話しても、あまりにもイイところ過ぎて「まさか!」と驚かれたり、なかには信じてくれない人もいた。
「それは違うだろう。ここではなくて、伊豆周辺にある島へ流されたのだろう。」と勝手に歴史を書き換える外国人もなかにはいた。
まあ伊豆大島も流刑地で、保元の乱に敗れた源為朝(ためとも)はここに流されている。
でも源頼朝や文覚が配流されたように、伊豆半島も間違いなく「天然の刑務所」とされていたのに、「いや、ここはパラダイスだ。永遠にいてもいい」という外国人にはそれが通じない。

あるアメリカ人は、源頼朝がここから天下をとったという話を聞いて「まるでオーストラリアみたい」と言う。
そこと伊豆にどんな接点が?と思ったら、オーストラリアはイギリスの流刑地だったから、そのアメリカ人の見方では「囚人が独立してできた、世界で唯一の国がオーストラリア」になる。
京都から流されてきた源頼朝は鎌倉幕府をつくって、朝廷とは独立した勢力圏を築いたからオーストラリアと重なると。
立場によって、ホントにいろんな見方がある。
むかし京都にいた日本人にはそこに送られたら、人生が終わってしまうような罰ゲームのような場所だった伊豆は、いまの外国人には「start a new day!」と、気持ちよく一日を始められるようなパラダイスになっている。

 

 

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2 件のコメント

  • > 死刑のなかった平安時代、最高刑は主に流罪で、

    一般の人には、この件についての解説・紹介が必要なのではないですか?
    以前にどれかの記事で触れられていましたっけ?

  • 記事に出てきたすべての人や事柄を説明するのは不可能です。
    疑問に思ったことはぜひ調べてみてください。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。