亡くなった親や祖父母に会いたい。
死んだとしても、無くなったとは思いたくない。
ご先祖の霊があの世からこの世に戻ってきて、しばらく一緒に過ごした後、またあっちへ帰っていく。
日本のお盆にはそんな非現実的で、人間としてアタリマエの願いが込められていると思う。
ことしのお盆休みにはいろんな外国人と会ったんで、「あなたの国には、死者が戻ってくるお盆のような行事はありますか?」ってことを聞いてきた。
イスラム教徒の見方についてはこの記事を。
今回はスペイン人とドイツ人から聞いた話を紹介しよう。
彼らはヨーロッパのキリスト教文化圏で生まれ育ったから、「死後の世界」の考え方のベースになるのもキリスト教だ。
ただスペイン人は20代の女性で、ドイツ人は30代の男性とわりと若い。
2人とも子どものころは教会へ通っていたけど、いまはそんな習慣もなくなって、日曜日には映画に見に出かけたり、自宅でネットフリックスと向き合っている。
どちらも神やキリスト教を否定することはないけど、自分を信者とは思ってないし、立場としてはほぼ無宗教だと言う。
いまのヨーロッパでは平均的な若者像だと思う。
ヨーロッパでは亡くなった人がいると、葬式をした後に土葬するか、最近では火葬をすることも増えてきた。
むかしは禁止されていた火葬も、いまではキリスト教の教えと矛盾しないという認識が広まってきたし、経済的な事情から火葬を選ぶ人も多くなっている。
そんな傾向はスペインもドイツも変わらないが、カトリックの影響の強いスペインのほうが火葬への抵抗感が強い気がする。
そんな話をする2人とも、「死後の世界」についての認識はだいたい同じだ。
死んだ人は生前のおこないから天国か地獄へ行って、二度とこの世には戻ってこない。
ただ、自分の先祖が地獄で苦しんでいるとは思いたくないから、天国に行っていまは幸せに過ごしていると考えている。というか、そう願っている。
ということで、死者が戻ってくるというお盆はキリスト教の考え方と矛盾しているから、2人ともそんな行事はないと言う。
そんな話を聞いていて、「復活」が出てこないことに引っかかった。
人間はダレでもいつか必ず死ぬ。
それは避けられないとしても、キリスト教ではその後、死者は必ずよみがえることになっているはず。
いつか世界の終わりの日になると、神がこの世に現れて、すべての人間を復活させて最後の審判をおこなう。
それで永遠の生命が与えられる者(=天国行き)と地獄に行く者が分けられる。
(怒りの日)
そのへんをツッコんでみると、2人ともけっこうあやふやだ。
人が死ぬと、その霊魂はすぐに天国や地獄に行くと思っていたとスペイン人は言う。
ドイツ人は、すぐにどっちかへ行く人もいれば、霊魂はお墓のなかにあって、週末の日に復活して審判を受ける人がいると思うと言う。
2人ともキリスト教にはあまり関心がないから、このへんは割とどうでもいいらしい。
でもとにかく、死者の霊が子孫の元に帰ってこないという点では一致している。
なるほど、キリスト教にお盆みたいな発想はなかったか。
そんなスペイン人とドイツ人の話を聞いて、頭に浮かんだのが浄土真宗。
お盆の由来のひとつに、仏教行事の「盂蘭盆会(うらぼんえ)」がある。
シャカの弟子が餓鬼道に堕ちた母親を見つけ、その苦界から母を救うために供養をしたことが盂蘭盆会の由来となった。
でも、浄土真宗の教えでは亡くなった人は阿弥陀仏によって、浄土に生まれ変わることになっている。
つまり、餓鬼道に堕ちることはない。
すでに救われているから、お盆で特別な供養をする必要はないし、先祖の霊がこの世にやってくるという考え方もない。
浄土真宗にはお盆はないから、信者が送り⽕や迎え⽕を用意したり、ナスやキュウリで精霊馬を作るといったことはしない。
お墓参りをして亡くなった人のことや、いまの自分たちの命について考えることはある。
浄土真宗 本願寺派のホームページの説明を見ると、あの世(浄土)へは一方通行でいつか必ず親や祖父母に会えるようだ。
亡き方の恩に感謝し、仏さまの救いにあい、お浄土に先にいかれた方々と、やがてはお浄土であえるというみ教えを聞いていくのが浄土真宗です。
亡くなった人と会いたいという気持ちはある。
2人のヨーロッパ人の見方によると、キリスト教では亡くなった人は天国や地獄へ行くけど、ご先祖はきっと天国にいてこの世には戻ってこない。
浄土真宗では、死者は浄土に生まれ変わって、もうこの世に帰ってくることはない。
背景は違うけど、どっちも似たような考え方があってお盆もない。
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