日本とスリランカの「首都」からみえる歴史の違い

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平安京遷都の背景:仏教勢力と怨霊の影

11月18日は794年に、日本史に残る重要な引っ越しのあった日だ。
奈良時代に病気、地震、飢餓などで多くの人が死んで、「もうダメこの国…」という重く暗い雰囲気が漂っていたころ、仏教の偉大な力で日本に平和と安定をもたらそうと、聖武天皇は空前の大仏をつくることにした。

天皇や朝廷が仏教に頼るようになると、権限をあたえられた僧たちは調子に乗って政治に介入してくる。なかには、天皇の座をねらった道鏡のような、日本を乗っ取ろうとする僧まで現れ、政治は混乱していく。
桓武天皇はそんな仏教勢力に嫌気がさし、寺院と僧侶を奈良に残し、首都を別の場所に移して、気分一新、日本を新しくスタートさせることにした。もちろん、遷都の理由はほかにもあるけれど。

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それでまずは長岡京に移動してから、794年11月18日に平安京へ遷都した。

スリランカの古都「キャンディ」との共通点

京都は世界で日本にしかない。でも、首都を移すことは世界中の国であったから、古都なら海外でもよくある。スリランカの場合、それは「キャンディ」だ。

いまの首都はスリ・ジャヤワルダナプラ・コッテで、かなり長い名前だ。スリランカ人に話を聞くと、キャンディ王国(1469年~1815年)の首都だったキャンディが日本の京都のような古都になる。
日本と同じ島国のスリランカは北海道の約 0.8 倍の大きさで、人口は約2,100万人(日本の約6分の1)とかなりコンパクト。

「極東」と言われる日本と違い、インドのすぐ南にあって、西洋から簡単にアクセスできる地理的な位置がスリランカの歴史と運命を決定づけた。
最近、キャンディ出身のスリランカ人と話をしていると、「第二次世界大戦の時、スリランカはイギリスの植民地でしたから、日本軍の空襲を受けたこともあります」と言われ、こちらは一瞬動揺したけれど、彼は今さらそんなことを気にしていない。

首都の選び方

話題を変えて、日本で行ってみたいところを聞くと彼は「KYOTO」と言う。世界的に有名な観光地だし、このスリランカ人からみると、京都はキャンディと同じ古都で共通点もたくさんあるからだ。

まず、周囲を山に囲まれたキャンディは盆地の京都と地形が似ている。首都を守ることを第一に考えて、敵が攻め込みにくい天然の要害に、”国の心臓”をもってくるのはどの国でも同じだ。
彼は自信たっぷりにそう話すが、桓武天皇が聞いたら「え?」と驚くかもしれない。

 

「物資を運ぶのに便利な大きな川がある場所」を理想とする桓武天皇の意向から、まずは長岡京が都に選ばれた。
しかし、たった10年でここを捨てて、次の平安京へ遷都したのは、桓武天皇の弟だった早良親王(さわらしんのう)の怨霊を恐れたからだとか。
平安京がいまの京都に選ばれた理由は、風水的に理想的だったからとよく言われていて、朝廷が敵からの物理的な攻撃を想定していたかどうかは不明だ。
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当時の日本人は悪鬼から守る「壮大な魔除け」レベルの首都防衛を考えていて、スリランカ人の指摘する戦略的観点は薄かった気がする。

植民地支配とキャンディ王国

京都とキャンディの歴史をみると、日本とスリランカの違いがよく分かる。まずスリランカを支配していたコーッテ王国から、15世紀にキャンディを首都として独立勢力がうまれた。16世紀にコーッテ王国が内紛から3つに分裂すると、キャンディは一つの国(キャンディ王国)として他国と争うこととなる。

そんな混乱期に、外からやって来のがポルトガルだ。身内同士で殴り合って、弱体化したところを外敵に食べられてしまうのは「世界の歴史あるある」の一つ。
スリランカもキャンディ王国以外はヨーロッパ勢力に吸収されてしまった。日本も幕末の戊辰戦争で日本人同士がいつまでも争っていたら、こんなメにあっていた可能性はある。

その後、ポルトガルに首都を占領されると、キャンディ王国はオランダと組んでポルトガルをスリランカ(セイロン)から追い出す。
すると今度はオランダによる支配が進んでいき、17~18世紀にバチバチ衝突するようになる。キャンディ王国は地の利を生かしてヨーロッパ勢力から防衛していたが、最終的にはイギリスの攻撃を受けて敗北し、1815年にその支配下に入って王はインドへ流された。

スリランカがイギリスからの独立を達成し、ヨーロッパ勢力を完全に駆逐したのは1948年のことだ。

京都と天皇:日本独自のルール

こんな悲しい歴史のあるキャンディと違って、京都は外国人に支配されたことは一度もない。京都が戦場になることはあっても、天皇を敵として戦った日本の勢力もない。京都御所へ行った時、ガイドがツアー客にこんな質問をした。

「御所の塀はとても低いです。その理由が分かりますか?」

15世紀に、日本を二分するような応仁の乱が起きた時でも、御所に攻め込む人は一人もいなかった。誰も天皇には手を出さない(倒さない)という日本の「絶対ルール」があったから、高い壁を築く必要はなかったとガイドは強調する。

ヨーロッパの国から何度も攻撃を受けて、最後はイギリスに首都を制圧されて国が滅亡し、王は流刑に処されてインドで亡くなった。
そんなスリランカと、千年帝都の京都があって、世界でもっとも古い王室(皇室)をもつ日本では歴史がまったく違う。
日本がインドの南にあったら、スリランカのように、ヨーロッパの植民地になる運命は避けられなかっただろうし、ユーラシア大陸の端っこにあったのは本当にラッキーだった。

 

 

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この記事を書いた人

今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。
また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。

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