SNSを見ていたら、バングラデシュ人のイスラム教徒(♂)がこんなことを書いていた。
「my wish every girl to wear hijab, it has a unique beauty and elevates women.」
(私の願いは、すべての女性がヒジャブをかぶること。ヒジャブには独特の美しさがあり、女性の魅力を高めてくれる。)
日本では言論の自由が認められていて、これはその範囲内にあるから、ネットで個人的な願望をつぶやくだけなら問題はない。
イスラム教徒の女性はヒジャブをかぶって髪を隠している。
近年、日本に住むイスラム教徒は増加傾向にあって、文化の違いから問題も発生している。
ヒジャブ以上に大きな問題は「食」だ
イスラム教徒はアッラーの教えによって、豚肉やアルコールなどを口にすることができない。
それに関して、西日本新聞にこんな記事があった。(2024/3/24)
「月の半分ほどは食べられない」ムスリムの子の給食どうすれば…北九州市の学校現場の苦悩
ムスリム(イスラム教徒)の子どもが増えていることで、保護者から学校給食に配慮を求める声が上がり、学校側は限られた予算や人手で何とか対応しているという。
この「給食たべれない問題」は日本の各地で発生している。
日本の中学と高校に通っていたイスラム教徒のインドネシア人は、自身の経験から、学校側が弁当の持参を認めてくれたら十分だと語っていた。
最近、日本に住むバングラデシュ人とインド人のイスラム教徒に、「この問題をどう思う?」と聞いてみたところ、彼らの意見はこんなものだった。
「同じイスラム教徒が助け合って解決すればいい」
もちろん、学校側がイスラム教徒でも食べられるメニューを作ることができるなら、それがベストの解決策。でも、そのハードルはとても高く、日本の学校が越えることはできないだろうと彼らはみる。
イスラム教徒は豚肉でなくても、イスラム教の教えに従って処理された肉でないと食べることができない。具体的には、アッラーに祈りを捧げた後、ナイフで動物の喉(のど)を一気に切断するやり方だ。
だから、豚以外でも、窒息させたり殴ったりして殺した動物の肉は食べることはできない。
また、ゼラチン・肉エキス・ラード・みりんなど、豚の成分が使われた食材もNGで、それが含まれた給食も食べることはできない。
それに、うなぎやタコを嫌がるイスラム教徒もいる。
もちろん、キッチンや調理器具もイスラム教の教えに沿ったもので、豚肉を扱うキッチンや器具とは区別しないといけない。
これらの条件を満たしたうえで、同じイスラム教徒であっても細かな考え方はそれぞれ違うから、学校側がすべての要望に応じる必要がある。
だから、現実的には不可能だろうと言う。
子どもの信仰に対する責任と義務は親が負っているから、まずは親が最大限努力しないといけないというのが彼らの共通した意見。
食べられない給食が「月の半分ほど」ということなら、1ヶ月で約10日になる。それなら弁当を作れないことはない。
もし、親が病気になったり、仕事が忙しかったりして、どうしても弁当を作れなかったら、同じ学校にいるイスラム教徒の親に頼めばいい。
彼らが強調したのは、ムスリムの信仰と団結力の強さだ。
彼らに話を聞いたのはラマダン月の断食が終わり、そのお祝いをした後だった。
この祭り(イード・アル=フィトル)ではイスラム教徒は、いろいろな人たちのために食事を提供し、一緒に食べて祝うことが多い。
イスラム教徒にとって、そのための負担は大きな喜びになるらしい。
だから、信仰を守るために困っている子どもがいるなら、親がその事情をモスクで伝えれば、きっと誰かが助けてくれる。
彼らの感覚からすると、ムスリムがそれを無視することは考えられない。
だから、学校給食の問題なら、地域のイスラム教徒が協力すればきっと解決できると彼らは考えた。
イスラム教徒の素晴らしいところは、困っている同胞がいたら進んで助け、それを喜びに感じることで、それは世界共通とのこと。
もちろん、これは彼らの想定内の話で、北九州市のイスラム教徒が具体的にどんな苦労をしているのかはわからない。
「全女性がヒジャブをかぶってほしい」という勝手な願いなら、言いっ放しでいい。
でも、子どもの信仰に関することは重要な問題だから、保護者も学校側に配慮を求めるだけでなく、それなりの努力もするはずだ。
イスラム教徒の話を聞いていると、「給食たべれない問題」は同じムスリムの力を借りることで、学校が大きな苦悩を抱えなくても解決できるのでは? という気がした。
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> イスラム教徒(♂)がこんなことを書いていた。
> (私の願いは、すべての女性がヒジャブをかぶること。ヒジャブには独特の美しさがあり、女性の魅力を高めてくれる。)
> 日本では言論の自由が認められていて、これはその範囲内にある
それはその通りだと思います。ですが、
> から、ネットで個人的な願望をつぶやくだけなら問題はない。
ってことになりますかね? 「問題はない」という言葉の意味にもよるでしょうけど。
たとえ日本国内であっても、この発言は「ひどい女性差別の考え方である」と受け止める人も結構いると思いますよ。特に男性が発言しているので余計にです。そういう人々にとってこの発言は、喧嘩を売られているのと同じこと。
いくら「個人的な願望をつぶやく」と言っても、不特定多数の人から見られるネットのSNSでそれをやれば、世の中の人々に向かって発言していることになってしまいます。
なお私自身にとっては、特定の宗教に凝り固まった人間の心情を吐露された時の「恐怖感」を、少々感じますけどね。これは別にイスラム教徒に限った話じゃありません。
> 「同じイスラム教徒が助け合って解決すればいい」
> 彼らが強調したのは、ムスリムの信仰と団結力の強さだ。
それは結局、ムスリムだけのコミュニティーを形成して、ムスリムだけでやっていこうとする考え方ですよね。つまり米国なんかと同様に、民族・宗教でまとまった地域社会の構築を目指す考え方です。
どうかな・・・。その方向は、日本社会ではこれまで受け容れられなかった考え方と思うのですが。別の言い方をすれば、その方向が受け容れられないからこそ、周囲の日本人は、「給食たべれない問題」に対して、その家庭と同じムスリムの力を借りるのではなく、学校が大きな苦悩を抱えてでも何とかならないかと苦闘しているのではないかと思います。
でも、いずれ時代と世の中の考え方が変わって、結局は、ムスリムたちの考え方を解決策として採用することになるのかもしれません。
ただ現状は、残念ながら日本社会は、特定の強い宗教心と宗教的行動を有する人々を広く受け容れられる状態にはなっていないと思います。本当に日本社会へ溶け込みたければ、戒律の強い宗教を「捨てる」もしくは「緩和する」のが最も効果的な解決策です。(別にそうするべきだと考える訳ではないですが。)
イスラム教を良く知らない日本人では限界がありますし、イスラム教徒のコミュニティで解決できる部分は多いと思います。