見た目は子供、頭脳は大人。
そんな名探偵のキャッチフレーズを借りるなら、知人のポーランド人が初めて日本のカプセルホテルに泊まった感想は「料金は子供、サービスは大人」といった感じになる。
カプセルホテルは日本の宿泊施設の中でも“最安ゾーン”にあるから、不安があったけど、ヨーロッパの格安ホテルとは違って、室内の寝具は清潔で必要以上のものがそろっていて、彼は完全に満足した。
このポーランド人にとっての「日本人らしさ」とは、細部まで配慮され、サービスが行き届いているところ。
それでも、日本は日本人向けに発展した国だから、外国人には不満な点もある。
最近、ネットメディアで日本にいる外国人が、自分は周囲から「日本は素晴らしいデスネ!」と言うことを期待されていると感じ、その“圧”に疲れると愚痴をこぼしているのを見た。
文化も価値観も異なる国に来れば、当然、マイナスポイントも見えてくる。
カプセルホテルに感激したポーランド人は、日本へ旅行でやってきた彼女と会うために東京へ行き、その後、2人で金沢、名古屋、静岡を回った。その旅行でいちばん大変だったことを聞くと、彼は日本と西洋の食文化の違いを挙げる。
現代の日本人と違って、ご先祖様は肉食をタブー視していて、社会にはそれを嫌悪する雰囲気が強くあった。
それはヨーロッパの食文化とまったく違うから、戦国時代にやって来たある宣教師はこんな印象を記している。
「日本人は、西洋人が馬肉を忌むのと同じく、牛、豚、羊の肉を忌む。牛乳も飲まない。猟で得た野獣の肉を食べるが、食用の家畜はいない」
江戸時代になっても、肉食を避ける考え方は変わらない。が、例外的に肉を好きな人もいたから、「ももんじ屋」で農民が捕まえた猪や鹿を販売することはあった。
*「ももんじや」は百獣屋の当て字らしい。
しかし、肉食には“反社会的”のイメージがあったため、猪肉は「山鯨(やまくじら)」、鶏肉は「柏(かしわ)」、鹿肉は紅葉(もみじ)と隠語で呼ばれた。
現代の日本でいうなら、大麻を「チョコ」や「ハッパ」と呼ぶのと同じ感覚だろう。
それでも幕末になり、西洋文化が入ってくると、日本でも少しずつ肉食の習慣が広まっていく。
それでも、やっぱり印象は悪かった。
福沢諭吉が大阪の適塾で学んでいたころ、牛鍋(すき焼き)が食べられる店は2件しかなかったと自伝(福翁自伝)に書いている。
その時大阪中で牛鍋を喰わせる処は唯二軒ある。一軒は難波橋の南詰、一軒は新町の廓の側にあって、最下等の店だから、凡そ人間らしい人で出入する者は決してない。
この時代の大阪で堂々と牛肉を食べるのは、全身に入れ墨を入れたヤクザ者や福沢諭吉など適塾の学生くらいで、まともな日本人(人間らしい人)のすることではなかったという。
1872(明治5)年に、新聞で明治天皇が牛肉を食べたことが報じられ、政府が「西洋人のように肉を食べよう!」という内容のキャンペーンをしたことで、国民の意識が変わり、肉食をタブー視する見方も無くなっていった。
時代の変化とともに、牛鍋(すき焼き)店も“最下等”から抜け出して、現在ではどちらかというと高級店になっている。
幕末・明治初期の日本はこんな状態だったから、西洋人は肉(とくに牛肉)を食べられないことに困った。
ロシア人のゴンチャローフは魚やエビばかり出てきて、修道院のような食事で胃がおかしくなったという。
イギリス人の日本学者チェンバレンも、肉も牛乳もパンもバターもジャムもサラダも無いから、日本の料理ではヨーロッパ人の味覚を満足させられないとボロクソ言う。
明治初期に来日し、東京帝国大学(いまの東大)の教授となったアメリカの学者モースも、手記に次のようなグチを書いた。
「ここ二週間、私は米と薩摩芋と茄子と魚ばかり食べて生きている」
「アメリカで楽しんでいるうまい料理の一皿でも手に入れることができるなら、古靴はおろか、新しい靴もすべてあげてもいい」
【日本の料理】幕末の外国人は酷評したが、いまは世界 NO.1
ここで話をポーランド人に戻そう。
昔の日本では肉がほとんど無く、西洋人が不満を言っていたと話すと、彼は「いまと逆ですね!」と驚いた顔をする。
彼の彼女はゴミが落ちていないきれいな路上や、電車が1分単位で正確に運行されることに感動し、ヨーロッパとの違いを感じた。
反対の意味で、違いを感じたのは日本の食文化だ。
彼女はヴィーガンだったから、肉は当然として、卵やハチミツも口に入れることができない。
日本は肉食大国だから、ヴェジタリアン料理を探すのに苦労した。
彼は半年ほど日本に住んでいて、ヴィーガンではないから肉を食べることができる。牛角の食べ放題を心から愛している。
だから、彼女と各地を旅行していて、日本でヴェジタリアン料理を見つけることの大変さに初めて気がついた。
日本語が分からなくて、日本に慣れていないヴィーガンの西洋人が旅行するのはかなりハードルが高いだろうと言う。
東京はまだいいとしても、地方都市でヴィーガン・フレンドリーの食べ物を見つけるのは難しい。
コンビニやスーパーにある食べ物も、一見すると肉は無いように見えるが、裏の原材料を確認するとその成分が含まれていることがある。
ヴィーガンでいることは好き嫌いの問題ではないから、彼女がそんな「トラップ」に引っかからないように、彼は責任を持ち、細心の注意をはらっていたから、本当に疲れてしまった。
そんなことで、今回の旅行で最も大変だったことを聞かれたら、迷わず「どこでも肉ばっか!」と答えるという。
これはヴィーガン限定だろうけど、幕末・明治に来日した西洋人の不満と完全に逆転している。
だから、「150年前の日本には、肉も牛乳もバターも無かったんですか。それなら彼女には最適ですね。彼女はその時代に旅行をするべきだった」と彼は笑って言う。
まぁ、幕末に西洋人が歩いていたら、尊王攘夷派のサムライに襲撃される危険性があったのだけど。
日本人は繊細だから、西洋人なら見過ごすような細かいことに気づくけど、ニーズの無いことにはケアもない。
「ヴィーガン」の発想はイギリスで生まれた。
ヨーロッパではヴィーガンの人は珍しくなく、一般的にメニューが充実しているから、食事で困ることは少ないらしい。
ポーランド人の2人から見ると、ヨーロッパ社会に比べて日本では、配慮されている部分とスルーされている部分のギャップが印象的だったらしい。
彼にとっては、日本の食文化の移り変わりも衝撃的だ。
「おにぎりせんべい」には卵や肉が使われているから、ヴィーガンの人たちは食べられない。
彼は分からない言葉があると、スマホアプリを使って翻訳していたから、いちいちめんどくさかったと言う。
同じ話をヴィーガンのイギリス人から聞いたことがある。
彼女も日本で外食する際には、ヴェジタリアンメニューがなかなか見つからず、一緒にいた日本人も困っているのを見て、何度もしんどい思いをした。
あるカフェで「野菜サンドウィッチ」があったから、「良かった!」と思ってそれに手を伸ばしたところ、よく見たらベーコンがあって驚いた。
「野菜サンドウィッチ」と書いてあるのに、ベーコンがある理由が理解できない。
これは、彼女にとっては重大な虚偽記載だ。
このイギリス人にとっても食べ物だけなら、幕末・明治の日本はユートピアだった。
江戸時代の日本人は確かに肉食を避けていたようですが、魚や海産物を食することで動物性たんぱく質は摂取できていたはずです。
でもヴィーガンの人って動物性たんぱく質を徹底的に避けるのですよね? それでも体の健康は維持できるのですか? たとえば赤ん坊には母乳やミルクも与えないのですか?
個人が、疑似宗教的な信念に基づいて特定の食品を口にしないことは、個人の自由の範囲内であると思います。でもそのことを他人や自分の子供に強制したり、ネット等を利用して同じ思想を他人へ広めたりして結果的に健康を損ねることになれば、それはもう「虐待」なのでは?
宗教的な理由から、事故にあった子供に「輸血」を許さず見殺しにするのと同じだと思います。
かと言って、どんな理由があろうと人工妊娠中絶を認めないなんて考え方も、宗教によって「ゆがめられた思想」であると思いますが。
特定の宗教的信念が薄い日本人には理解が難しい人たちです。
ヴィーガンについてはインドや台湾では宗教的な理由が多くて、欧米では個人的な考え方によることが多いです。
それぞれ事情があるんでしょうね。