二宮尊徳 ー 韓国の歴史にはいなかったタイプの日本人

 

いま韓国民が尊敬する韓国人はだれ?

最近、韓国でそんなアンケートを行ったところ、トップ3はこの人たちだった。

1位:李舜臣
2位:朝鮮王朝4代目の王・世宗
3位:朴正煕(パク・チョンヒ)大統領

韓国民に最も尊敬されている李舜臣(イ・スンシン)は朝鮮水軍の将軍で、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、10倍以上の日本軍を撃破したと、韓国では信じられている。
これは「鳴梁(めいりょう)海戦」のことで、「史上最も偉大な戦争」と絶賛する韓国メディアもあった。
しかし、李舜臣に対する評価は日本ではかなり違う。

【李舜臣の最期】日本と韓国で違う歴史認識、露梁海戦について

 

ソウルのど真ん中で、日本軍がやってきた南を向き、背後の王宮を守るようにして立つ李舜臣の像

 

李舜臣は「名将」として国民から尊敬され、韓国の各地に像が建てられている。
韓国で一番多く建てられている像は、この李舜臣ではないかと思う。
その点では、日本で言うと一昔前の二宮金次郎(尊徳)と似ている。
二宮尊徳は江戸時代の思想家で、「私利私欲に走ってはいけない。一生懸命に働いて社会に貢献すれば、やがて自分も豊かになる」という報徳思想を唱え、農村の復興を目指した。

薪(まき)を背負いながら本を読む金次郎少年は、日本人が大切にする「勤勉」や「節約」といった価値を体現していて、全国の学校でこの像が建てられた。
しかし、最近の日本では価値観が変化し、金次郎の像が撤去される動きが進んでいる。

【消えゆく昭和】学校から二宮金次郎の像が撤去される理由

 

働きながら学ぶ二宮金次郎は、かつての日本人の理想だった。

 

韓国人が尊敬する偉人ランキングで、第3位に選ばれた朴正煕(パク・チョンヒ)は、大統領(1963〜79年)として韓国を導いたリーダーだ。
彼が韓国で高く評価されている理由は、『漢江の奇跡』と呼ばれる高度経済成長を実現させ、現在につづく経済大国・韓国の基礎を築いたから。
そんな朴功績の一つに、セマウル(新しい村)運動がある。
セマウル運動は「勤勉」「自助」「協同」をモットーに、政府が主導して1970年代に農村の近代化を目指して行われた。朴はそれを成功させ、国民の生活をより豊かにした。

朴正煕(パク・チョンヒ)は日本統治時代、小学校の先生をしていたことがあり、二宮金次郎を知っていた。彼は韓国の学校にも、この運動にふさわしい「勤勉」を象徴する人物の像を建てたいと考えた。
韓国に精通したジャーナリストの黒田勝弘氏によれば、それはうまくいかず、代わりに別の人の像が建てられたという。

産経新聞のコラム『ソウルからヨボセヨ』(2017/1/21)

韓国にそんな人物はいなかったか探させたが見当たらず、諦めたという話がある。その代わり軍人出身の朴正煕は、日本の秀吉軍と戦い善戦した李舜臣を発掘してたたえ、その銅像が各地にできた。

慰安婦像は愛国者のシンボル? 子供たちに「こんな人になりなさい」と教えるのか…

 

朴政権が全国に李舜臣の像を建てさせたことで、この将軍は今のような国民的英雄になったと思われる。
それは戦後の話で、戦いを嫌った朝鮮時代に、李舜臣が全国的に尊敬されていたとは思えない。
1719年に日本へ派遣された朝鮮通信使の一行にいた申維翰は、紀行文(海游録)の中で、李舜臣が露梁海戦で一勝したことを「幸いなるかな」とかなりあっさりと書いている。
ちなみに、黒田氏は当時の韓国で、日本大使館や総領事館の前、全国の学校や公園などで慰安婦像が次々と建てられていることに懸念を示し、「今、韓国を代表する銅像というと慰安婦少女像だろう」と呆れている。
つい最近、イタリアにもこの像が建てられたし、本当に「韓国を代表する銅像」になっているかも。

まぁ、ここではソレはさておき、なんで韓国の歴史では、「勤勉」を象徴するような人物がいなかったのか?
現在の韓国人から見れば、思い当たる人物がいるかも知れない。しかし、当時の韓国政府が探せなかった人を見つけ出すのはほぼ不可能だと思う。

韓国に二宮金次郎のような人物がいなかった理由は、単純に、日本統治時代がはじまる前までの朝鮮時代には、そんな価値は重要視されていなかったからだろう。
受験生が試験(科挙)に合格するために、熱心に勉強することは大切にされていたが、一般的に、汗水たらして働くことは評価されていなかった。儒教の影響が強かった王朝時代、社会的に労働者を見下す空気があった。
そういうことだったと思う。
その理由については別の記事で書くつもり。

 

 

韓国 「目次」

いま韓国人が最も尊敬する人物は? それを日本史で例えると?

韓国人の知らない日韓の歴史 朝鮮出兵・元寇であったコト

【空想と事実】韓国では侵略の象徴、伊藤博文が実際にしたこと

韓国のソウルを漢字で書けない理由:漢城?京都?首爾(首尔)?

 

2 件のコメント

  • > 受験生が試験(科挙)に合格するために、熱心に勉強することは大切にされていたが、一般的に、汗水たらして働くことは評価されていなかった。儒教の影響が強かった王朝時代、社会的に労働者を見下す空気があった。

    あともう一つの理由として、科挙試験とは、当人の出自にこだわらず、当人の能力だけを評価基準として官僚を選抜する(少なくともタテマエ上は)ための中国発祥の制度だったことが上げられます。厳しい身分制度を敷いていた王朝時代の朝鮮には、全く合わなかった価値観でしょうね。
    中国の儒教思想と官僚制度をそのまま「輸入」してそのまま真似してみたものの。

  • > 慰安婦像は愛国者のシンボル? 子供たちに「こんな人になりなさい」と教えるのか…

    まったくその通り、私には理解不能です。
    おそらく、関係者が自分の利益のことだけ考えていて、次世代に与える影響のことなど全く念頭にないからでしょうね。

  • コメントを残す

    ABOUTこの記事をかいた人

    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。