韓国から日本伝わった3つのもの 養蚕・朝鮮人参・セロリ

 

日本から韓国へ伝わった有名なものには唐辛子、コグマ(サツマイモ)、たばこがある。

【日韓交流】日本から韓国へ伝わった、3つの有名なもの

以前、そんな記事を書いた。
今回はその逆で、韓国から日本へ伝わった(とされる)、養蚕・朝鮮人参・セロリの3つを紹介しよう。

 

荒川 五郎(1865年 – 1944年)

 

1906年に衆議院議員だった荒川五郎が朝鮮半島を視察し、そこで見聞きしたことを『最近朝鮮事情』にまとめた。
それによると、当時の朝朝鮮人は「朝鮮米作の法は、昔の豊公文禄の役の時に日本の軍人から学んだので、養蚕の術は朝鮮からこれを日本に教えた」と言っていたという。
16世紀の朝鮮出兵で、日本から伝わったという「朝鮮米作」について調べてみたけれど、情報が出てこなくて何のことかはわからない。

養蚕の歴史については日本より朝鮮のほうが古い。
紀元前の古代中国で開発され、朝鮮半島へ伝わった。日本に養蚕の技術は古代紀元前200年くらいに中国から伝わり、その後、朝鮮半島の百済から養蚕や染色の進んだ技術がもたらされたと考えられている。
荒川が「世界中で最も優れたもので、朝鮮唯一の特殊産物」と絶賛したものがある。それは朝鮮人参だ。

*朝鮮人参とは高麗人参のこと。
昔、日本では朝鮮人参と言われていたが、戦後になってから、韓国人が「朝鮮」という言葉を嫌ったため、日本の取扱業者は「薬用人蔘」と呼ぶようになった。しかし、後に薬事法の関係で「薬用」という言葉が問題になったため、名称を「高麗人蔘」に切り替えて現在にいたる。

朝鮮人参は健康にとても良いから、江戸時代には日本や中国でも薬用として珍重されたという。荒川がいた時代、人参の値段は朝鮮半島の産地によって違っていて、京畿、平安、全羅、忠清などのものは「山違い」と呼ばれて値段は安かった。開城府の人参はとても高値で、最上級のものは600グラムで、現在の約100万円の価値があったという。
高麗人参を蒸して乾燥させた紅参(こうじん)は朝鮮政府だけが作ることができ(官業)、民間の製造は禁止されていた。
当時の日本では三井物産が紅参を取り扱っていたという。

 

セロリは中国から朝鮮半島へ伝わり、16世紀の末期に豊臣秀吉が朝鮮出兵を行った際、日本へ伝わった。
朝鮮半島へ渡った加藤清正が有名な人参を自国(肥後)でも栽培しようと考え、朝鮮人参のタネを手に入れて帰国後にそれを植えたら、セロリが育ったという。それで今でも、熊本ではセロリの別名は「清正人参」だ。
朝鮮の村人が加藤清正をだまし、「これが高麗人参のタネでございます」とセロリの種を渡したという説がある。
当時から、朝鮮の人参は貴重で門外不出だったらしい。
以上のセロリは中国種で、江戸時代に西洋種のセロリが日本に入ってきたが、強い香りが日本人に嫌われて人気が出なかった。
日本でセロリが普及したのは戦後になってから。

 

番外編

以前、SNSである韓国人が「みかんは朝鮮半島から日本へ伝来しました。古代朝鮮半島の南部にあった3つの国(馬韓、辰韓、弁韓)の三韓が“みかん”になったのです」という説を投稿しているのを見つけ、「へ〜」と思って調べてみたら、そんな事実は確認できなかった。
この手の誤解は韓国ではよくある。

 

 

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4 件のコメント

  • > 朝鮮米作の法は、昔の豊公文禄の役の時に日本の軍人から学んだので、・・・
    > 16世紀の朝鮮出兵で、日本から伝わったという「朝鮮米作」について調べてみたけれど、情報が出てこなくて何のことかはわからない。

    この「朝鮮米作」ですが、もしかすると固有名詞ではなくて、「朝鮮における米作り」という意味の一般名詞じゃないのですか?

    中国から朝鮮半島を経由して日本に伝わった養蚕の技術ですが、中国で考案され日本へ伝来した時代及び技術の内容が、製紙法に似ています。もしかすると養蚕と同時期に、紙の製法も中国から朝鮮半島を経て日本へ伝わったのかもしれません。

  • 私も気になって朝鮮の稲作について少し調べてみました。すると、朝鮮で「田植え法」による稲作が始まった(それにより米の生産量が格段に増えた)のは17世紀くらいのことで、それ以前は「稲籾直播き法」だったそうです。秀吉の朝鮮出兵が16世紀末ですから、もしかすると、そのことと関係があるのかもしれません。
    なお日本では、弥生や縄文の古代から「田植え」が行われていたことが分かっています。

  • なるほど!
    直播き法から、日本式の田植えに変わった可能性はありそうです。
    あの当時は、日本の農業のほうが進んでいましたから。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。