【ドイツの冬食】ザワークラウトとソーセージの歴史など

日本には1年を24の季節に分けた伝統的な暦、二十四節気がある。それによると、大寒が終わって立春になって、春が始まったはずなのに、日本は最強寒波に包まれておそろしく寒い。そんな今月のはじめ、ドイツ人と話をしたので、今回はドイツの冬の食文化について書いていこう。

 

ーー冬になると、わが家では鍋料理をよく食べる。ドイツ人は冬にどんなものを食べる?

クリスマスの時期になると、伝統的にはシュトレン(シュトーレン)ってお菓子を食べる。個人的には焼きソーセージが好き。

ーー知ってる、そのフリーレンみたいなお菓子。日本でも見かけるようになった。

シュトレンは「坑道」という意味で、あれには独特の食べ方がある。クリスマスの一カ月前から、1センチぐらいに薄く切って、すこ〜しずつ食べていくんだ。

ーーへ〜、少量ずつ切り取っていくっていうのは、中国や韓国であった凌遅刑みたいだな。ところで、日本で冬の保存食というと、伝統的にはたくあんや魚の干物、燻製した肉なんかがある。ドイツはどうなの?

有名なものだと野菜ならザワークラウトで、肉ならソーセージかな。ザワークラウトとソーセージの相性は良いから、よくセットになっている。

ーーいろんなドイツ料理に、ザワークラウトがちょこんと添えられているよね。たくあんとザワークラウトは似てると思う。どっちも野菜の漬物で、日本の料理でもたくあんがそんな扱いを受けている。
やつはメインを張るには力不足だけど、オールマイティーな脇役で、おにぎり、定食、丼ものといろんな食べ物にマッチする。ザワークラウトもそんな感じか。

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ザワークラウト、ソーセージ(ヴルスト)、ハム、ジャガイモ、パンがある、THE・ドイツ料理

 

ここからは、ザワークラウトとソーセージ(ドイツ語ではヴルスト)の歴史などを書いていこう。
まずはザワクラから。

ザワークラウトのザワーは英語のサワー(酸っぱい)と同じ語源で、「酸っぱいキャベツ」という意味になる。
「ザワークラウト」はドイツ語だが、この料理はドイツ生まれというわけではない。古代ローマの人たちがキャベツを漬物にしていて、それが現代のヨーロッパにあるザワークラウトの起源になった可能性が高い。
北ヨーロッパ、中央ヨーロッパ、東ヨーロッパでは、暖かい地域からのアクセスが容易になるまで、ザワークラウトは特にドイツで、保存食品として冬の貴重な栄養源となっていたのだ。

8世紀、イギリスの探検家・ジェームズ・クックは初めてハワイ諸島を「発見」し、ヨーロッパに伝えた。彼は人類史上、初めて壊血病の死者を出さないで世界一周を成し遂げた人物としても有名。ザワークラウトが壊血病を予防することを知っていたから、彼は航海に出るとき、いつもザワークラウトを持ち込んでいた。

 

お次はソーセージで、まずは名前から。
もともとは「塩で味付けした」を意味するラテン語の「salsicus(サルシキウス)」を起源として、古い北フランス語の「saussiche(ソーシッシュ)」が登場し、15世紀の半ばごろ、ソーセージという英語が使われるようになった。初期のつづりは「sawsyge」で現在の「sausage」とは違う。

伝統的にソーセージは、さまざまな肉、内蔵、血液、脂肪などを塩漬けにして保存性を高めていた。この辺の発想ややり方はザワークラウトと同じだ。そして、きれいに洗った動物の腸にそれらを詰めて、円筒形を作り出した。
そんなソーセージ作りの起源は判明していない。
ソーセージは家畜や獲物を効率よく、すべて食べ尽くそうとする知恵と技術の産物だから、仏教の「不殺生」の影響で生き物を殺さず、農耕民で屠殺の文化が発達しなかった日本では生まれなかった文化だ。
中国では「腊肠」というソーセージが生まれ、北魏(386年 – 535年)の書にその記録がある。この中華ソーセージはヨーロッパとは関係なく、独自に生まれたものだと思う。

 

12〜13世紀ごろ、ドイツで冬を過ごすための保存食としてソーセージが定着する。
このころドイツ人は一般的に家で豚を飼っていた。というのは、ドイツの土地は栄養が少なく痩せていて、成長が早く、たくさんの子どもを生む豚は食用の家畜としては最適だったから。
冬が近づくと、エサとなるドングリなども無くなるため、いくら生命力のあるブタでも、年を越せないものも出てくる。そこで一定数を残し、ブタを解体してその肉を塩漬けにして長期保存できるように加工した。こうしてドイツで、ソーセージやハムの加工技術が発達し、その後、ヨーロッパの各地に伝わった。
15世紀に大航海時代になると、アジア世界からたくさんの香辛料がもたらされるようになり、ソーセージの製法も広がった。

 

冬が近づいて、ブタの屠殺作業をする中世ヨーロッパの農民

 

ヨーロッパでは秋から初冬にかけて、ブタを屠殺する文化があった。昔ほど盛んではないだろうが、今でもあると思う。この活動は通常、クリスマスでお祝いの料理を用意するために、その時期が来る前に終わる。
ドイツの農民は11月を「屠殺の月」(Schlachtmonat)と呼び、ブタやガチョウ、鶏といった家畜を解体して、ハムやソーセージなどの保存食を作っていた。こうした加工を行える期間は法律によって定められていたため、好きな時に家畜を勝手に処分することはできなかった。

そんな文化を背景にドイツでソーセージ作りが発展し、現在では1200種類以上もある。

ドイツでは都市によってソーセージの製法が違うため、そのソーセージが作られた都市の名前を付けて「フランクフルター・ヴルスト(フランクフルト・ソーセージ)やニュルンベルガー・ヴルスト(ニュルンベルク・ソーセージ)と言われることがある。
たとえば、フランクフルトソーセージは皇帝の即位式がきっかけになって爆誕した。
神聖ローマ帝国の皇帝はフランクフルトにある広場で戴冠式を行っていて、その際、最高級の牛のミンチ肉が使われたソーセージが作られた。その特別なソーセージが一般化して、現在のフランクフルトソーセージになる。

オーストリアの首都ウィーンを英語で「ウィンナー」という。だから、ウィンナーコーヒーとはウィーンで生まれた「ウィーン風のコーヒー」の意味で、ソーセージは1ミリも関係ない。
昔、ウィーンでフランクフルトソーセージを作っていた職人が独自のアレンジを加え、新しいソーセージを開発した。それがフランクフルトに逆輸入され、現地で「ウィンナーソーセージ」と呼ばれるようになったという。

ニュルンベルク・ソーセージの特徴はハーブの香りにあり、これがほかのソーセージとの差別化に成功している。
昔、ニュルンベルク市がイタリアのベネチアと姉妹都市関係にあったため、シナモンなどの東洋のスパイスを特別に入手できたから、こんな独自のソーセージが生まれた。

最後に日本の事情について触れておこう。
日本の食文化はこうした食肉加工とは無縁で、「屠殺の月」なんてありえなかった。そのため、日本で本格的なハムやソーセージ作りが始まったのは比較的新しく、大正時代になってからだ。第一次大戦で日本に連行されたドイツ人捕虜などから、日本人がハムやソーセージの製法を学んで、それが土台となって、日本のソーセージ作りが発展していく。

 

おまけ

食べている物で、相手を馬鹿にする現象は世界中にある。
「クラウト」という言葉はドイツ人に対する蔑称で、アメリカ人などがドイツ人を馬鹿にする時に使われた(今もそうかも)。第一次世界大戦が始まると、アメリカではドイツへの敵対感情が高まったことを受けて、アメリカにあったザワークラウトの製造業者は製品を「リバティキャベツ」へ改名した。

一方、日本はまるで違う。
第一次世界大戦が始まると、ドイツは日本の敵となったため、横浜でハムやソーセージの店を開いていたドイツ人のマーチン・ヘルツが収容所へ入れられそうになった。しかし、マーチンの弟子だった大木市蔵が神奈川県知事に相談したことで、知事から食肉加工業を認められ、マーチンは大木と一緒にハム・ソーセージの製造販売会社を設立した。
美味しいものを作れる人間が特別扱いを受けることも世界中である。

 

以下、今回の記事で参照した資料

Sauerkraut

Traditional autumn activity

ドイツのソーセージ

『おしごとはくぶつかん』の「ソーセージは、紀元前からある保存食なの?

 

 

ヨーロッパ 「目次」

日本とドイツの食文化 典型的な朝食・飲酒ルールの違い

世界のトイレ文化:ドイツ人、日本で理解を超えたものと遭遇

ドイツ人が「とっても日本らしい」と感じた京都のスポット

【ドイツ人の視点】日本がヨーロッパより良いところは”水”

在日ドイツ人は日本をどう思う? 印象的だった5つのこと

ドイツ人はバウムクーヘンを食べるのか? 日本の物とはどう違う?

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