浜松市に住んでいたバングラデシュ人の知人が「最近、東京を旅行した」と言うので、どこに行ったか聞くと、返ってきた答えはお台場、秋葉原、明治神宮、渋谷、それと「聖地」だった。彼の言う聖地とは池袋のことで、理由をたずねると、ショヒド・ミナールがあるからとのこと。
ああ、ショヒド・ミナールか。なら納得。で、それは何?
無知なボクに彼は次のように説明してくれた。
戦後、バングラデシュは「東パキスタン」としてインドから分離独立を果たす。
当時、西パキスタン(現在のパキスタン)があり、東西でパキスタンという1つの国が成立していた。しかし、西パキスタンはウルドゥー語を唯一の公用語として定めたため、ベンガル語を使っていた東パキスタンの人々は激怒する。これはベンガル語を「劣った言語」とみなす行為で、屈辱的だったから。
東パキスタンの人々は1952年2月21日にベンガル語の公用語化を求めるデモを行うと、西パキスタンは武力で弾圧し、デモ参加者を殺害した。この事件がきっかけとなり、東パキスタンの抵抗運動は激化し、独立戦争へとつながった。そして、ついに独立を果たし、バングラデシュが建国されて現在に続いている。
*くわしいことは 【日本の真逆】戦後、バングラデシュが二回も独立した理由 を見てほしい。
バングラデシュが独立した後、ベンガル語を守るために亡くなった人々を追悼するため、ダッカにショヒド・ミナール(殉教者の塔)が建てられた。知人によると、現在のバングラデシュ人にとってこのモニュメントは最も重要なもので、これを見ると誇りを感じる。そして、バングラデシュ人として正しく生きなければならないという思いが強くなるという。
なるほど、そういうことだったのか。でも、なんでそれが池袋にあるのか?
ショヒド・ミナール
まったく知らなかったのだけど、池袋のある豊島区には多くのバングラデシュ人が住んでいて、コミュニティを形成しているらしい。それで毎年、池袋でバングラデシュの新年「ボイシャキメラ」を祝う祭りが行われ、地域住民との交流も活発に行われている。
この祭りは「カレーフェスティバル&バングラデシュボイシャキメラ」と呼ばれ、バングラデシュのカレーを味わったり、ダンスを見たり、現地の雑貨を買ったりすることができる。日本で開催されるバングラデシュのイベントとしては、きっとこれが最大のものだ。
*2025年4月20日(日)に池袋西口公園で開かれる。
このイベントをきっかけに、豊島区とバングラデシュの文化交流が始まり、バングラデシュ政府が敬意を表して「ショヒド・ミナール」を寄贈し、それを池袋西口公園に設置した。
豊島区のウェブサイトにその説明がある。
バングラデシュ人でショヒド・ミナールを知らない人はいない。だから、日本にいるバングラデシュ人にとって池袋は「聖地」となっているという。彼が東京へ行った一番の目的もこの記念碑を見ることで、ベンガル語に誇りを感じ、国を愛する気持ちを深めたという。
となると、これは東京観光ではなくて聖地巡礼だ。
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