だれだって、いつかどこかで自分とは違う価値観を持つ人と出会う。
相手と意見が対立することもある。
そんな場は、小学校の教室から「憲法9条を変える vs 変えない」という国会まで日本中にある。
ぶつかったっていいじゃないか、にんげんだもの。
相手と議論しつつも、「場の空気を悪くしたくない」「相手との関係を終わらせたくはない」と思うこともある。
そんなときのために、役立つ言葉がありまっせ。
今回はそれを紹介させてほしい。
外国人と意見をぶつけ合うときに有効だと思う。
これはベトナム語。
ベトナムも昔は漢字を使っていたから、日本語と同じ言葉がたくさんある。
これは「注意」という言葉。
日本の場合、韓国とは価値観や見方が大きく違うことがよくある。
特に歴史上の人物。
例えば豊臣秀吉で、日本で秀吉は天下を統一した(1580年)ことで英雄になっている。
でも韓国では、朝鮮出兵をおこなった「侵略者」となっている。
安重根はこの逆。
安重根は日本の植民地支配に反対して、伊藤博文を射殺した。
それによって韓国では義士・民族的英雄になっているけど、日本政府(菅官房長官)は公式の場で「テロリスト」と言った。
国によって価値観や見方が違うのは当たり前。
豊臣秀吉を「英雄/侵略者」とみる。
安重根を「英雄/テロリスト」とみる。
反対の評価でも、日韓のそれぞれの価値観にしたがって見れば、両方正しい。
このときに、「正しいのはオレの意見だ。おまえは間違っている!」と言えばケンカになってしまう。
相手を自分の価値観に従わせようとすると、関係が終わってしまうかもしれない。
「お互い違う意見を持っている」ということを理解し合うしかない。
そんなときに、こんな言葉が役立つ。
「agree to disagree on this」
これについて、”同意できない”という点では同意できる。
この問題では、「意見が一致しない」ということではお互い一致する。
つまり、「お互いの考え方の違いを認め合う」ということ。
前に、アメリカ人とメールで慰安婦問題について意見を交換していたときに、そのアメリカ人からこんなメールをもらった。
I think we can just agree to disagree on this.
agree to disagree is a good and kind of popular English phrase.
Please use it!
「agree to disagree」は、よく使われる英語表現という。
アメリカ人は議論をよくする。
そんなアメリカ社会でこの言葉がよく使われるということは、これがいろんな場面で役立つからだ。
15年ぐらい前、インドを旅行中に韓国人の旅行者と知り合った。
彼から竹島問題について聞かれ、話し合いになる。
このときは「agree to disagree」という言葉を知らなかったけど、「お互い同意できないことでは、同意できますね」というようなことを言って、気まずい雰囲気になることもなく話を終わらせた。
「独島は韓国のものだけど、竹島は日本のもの」ということも言ったと思う。
竹島は日本固有の領土だけど、インドでそれを主張して、相手を怒らせる必要はない。
相手の主張を、認めることも否定することもしたくない。
なるべくその場の空気を壊さないようにやり過ごしたいのなら、「agree to disagree」という態度をとればいい。
この記事のタイトルに「特に韓国人」と書いたのは、嫌韓感情をあおるためじゃない。
今まで自分が経験したり聞いたりしてきた限りでは、日本人が意見の違いで対立するのは韓国人の場合が多いから。
ボクはインド旅行で、韓国人から竹島問題や安重根のことを聞かれた。
ポーランドの宿で、韓国人旅行者から慰安婦問題について責められ、謝罪したという日本人に会った。
フィリピンで英語留学をしているときに、韓国人と慰安婦問題でぶつかったという日本人がいた。
なかには、こんな日本の女性大生もいる。
1999年に、日本と韓国の大学生が学生交流をおこなった。
そのとき日本の大学生は、日韓の「21世紀のパートナーシップ」をテーマにしようとする。
でも、韓国の学生は「従軍慰安婦問題」を取り上げた。
朝鮮日報のコラム(2016/01/04)に、その結果が書いてある。
討論は支離滅裂だった。日本の学生たちの「私たちは責任認定も補償もすべて行った」との言葉に感情が高ぶり、「あなたたちがああいう目に遭ったと考えてみてよ。あれで済んだと思えるの?」と問い掛けた。
すると突然、日本の女子学生の一人が冷たい床で土下座を始めた。「こうすれば気が済むの?」と。「日本から謝罪を受ける韓国の意志と戦略」
こんな学生交流だったら、しない方がいい。
韓国の学生に土下座して謝罪するくらいなら、「I think we can just agree to disagree on this」という態度を取り続けたほうがよかっただろう。
安倍首相は戦後70年談話で、こう話していた。
あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。
「日本に生まれてきた」ということが、「特定の国に謝罪する運命を背負っている」ということにはならない。
戦争に関係のない今の日本人が韓国に謝罪する必要はない。
友人の韓国人たちは、一度もボクに反省や謝罪を求めたことはない。
彼らはそういう考え方が嫌いだし、「お互い、相手の意見には同意できない」という点で同意しているから。
日本人の場合、韓国人との歴史問題の議論をクリアできるようになれば、どこの外国人と何を議論してもきっと何とかなる。
欧米・東南アジア・中南米の外国人と何のテーマで話し合いをしても、「韓国人との慰安婦問題の討論」以上の修羅場になることはないだろう。
何を議論しても、「突然、日本の女子学生の一人が冷たい床で土下座を始めた」ということが起こるとは思えない。
「韓国人と慰安婦問題の話し合い」が”ラスボス”と考えていい。
議論で、相手の意見を肯定も否定もしたくない。
「お互いの考え方の違いを認め合おう」という方向に持っていきたいときに、「agree to disagree」の言葉や考え方が役に立つ。
とてもいいテクニックを教えていただきありがとうございました。答えがでないのに、喧嘩をする意味はありませんよね。ただ、私がどうしても解らないのは、慰安婦問題になった時の日本人とあまり変わらないのであればわかりますが、教育も法律も真逆に変わっているのに、歴史を正しく理解してないとかいいがかりのような気がします。何があったかなどと言うことではなく、何が正しいかだとおもうのですが?良くないと思ったから、変えたわけで、それじゃだめなんですかね?その時代に生きていなかった人間に謝罪しろと言って、謝ってもらったとこでマイナスだとはおもいますが。安部さんが真珠湾でおっしゃった、アメリカ人の寛大な優愛の精神こそが、先に役に立つ人間の心だと思うのですが。ほんとのアメリカがどうか?は関係なく
>歴史を正しく理解してないとかいいがかりのような気がします。
韓国では「強制連行」や「性奴隷」が正しい歴史で、それ以外は間違っていることになっています。
「正しい」「良くない」は日韓で大きく違いますし、これを追及したら、下手したら殴られるかもしれません。
「寛大な優愛の精神」の意味も日韓で違うと思います。
私は慰安婦問題で韓国人と言い争ったことはないのですが、面倒になったら「合意できないことでは合意できますよね?」とか言ってはぐらかすと思います。