今回の記事は朝鮮半島で起きた「三・一独立運動」について。
これは韓国の歴史上、「これ以上ないっ」というほど重要な出来事で、韓国人ならきっと誰でも知っている。日本も関係することだから、ぜひ知っておこう。
ということで、まずは辞書で内容を確認。
三・一独立運動
1919年3月1日、ソウルで日本支配からの解放を望む朝鮮民族が起こした反日独立運動。
デジタル大辞泉の解説
当時、朝鮮半島は日本の統治下にあった。
ただ、この時代の価値観からしたら、植民地支配は善でも悪でもなくて常識だ。
弱肉強食の「帝国主義」は欧米が築いた国際ルールで、日本もそれにしたがっていた。
でも、異民族支配に対する抵抗運動は時代や場所を問わずによく起こる。
これも世界史の常識。
だから日本に主権を奪われていた朝鮮人が、それを回復するために独立運動を起こすことは理解できる。
韓国の憲法を見ると前文にはこう書いてある。
「我々大韓国民は3・1運動で成立した大韓民国臨時政府の法統と、不義に抗拒した4・19民主理念を継承し」
「朝鮮独立」を叫んだ精神はいまの韓国人にもある。
三・一独立運動はデジタル大辞泉の解説にあったように、「朝鮮民族が起こした反日独立運動」だ。
だから毎年この日が近づくと、韓国では愛国心や反日ムードが盛り上がる。
とくに今年は100周年だから、そんな気持ちに応えるようなイベントやマスコミ報道がめじろ押し。
たとえば中央日報にはこんな記事(2/26)がある。
「三・一運動、韓国人が世界と主体的に会った最初の事例」
1919年の三・一運動で、韓国人は初めて主体的に世界と会ったという。
なんか感動的だけど、日本人のボクには実感がわかない。
それにこの独立運動について、こんな解釈を聞いたのも初めて。
これはどういうことなのか?
記事のなかで、延世大学のパク教授は100年前の三・一独立運動に参加した韓国人を「自由・平等・主権・平和のために行動する世界市民だった」と指摘している。
これで見えてきた。
「韓国人=世界市民」という現代的な発想にもとづいて、過去を新しく解釈するという試みは本当にユニークで韓国人らしい。
この会議が「民主共和100年・世界市民100年:普遍平和に向かって」という題なのはそういう理由か。
それにしても、なんで韓国の人たちは「世界市民」や「普遍平和」という言葉が好きなのか?
ついでに言えば「人類普遍の正義」も。
ちょうと今日、アメーバタイムズの記事(3/5)で、韓国に精通する武藤正敏氏が韓国人の歴史観について問題点を話していた。
韓国では自分たちの考える正義が先にあって、それにもとづいて歴史を構築しようとする。
くわしいことは下の記事を検索あれ。
「韓国は”正義”に合わせて歴史の事実を組み立てようとする」…文大統領演説に自民党から批判も
「100年前の韓国人は世界市民だった」という発想もこれと同じ。
ボクの理解では、三・一独立運動は日本の支配に対する独立運動なのだけど、韓国では「世界普遍的な民主主義・共和主義・平和主義運動の視点で見直す」と拡大解釈する動きがある。
韓国史の出来事を世界史レベルにしようとする発想は野心的で韓国的だ。
でも独立運動の歴史なら、インドにもベトナムにもラオスにもある。
ボクがそうした国を旅行したとき、博物館へ行ったりいろいろな人から話を聞いたから、現地の人たちが抵抗の歴史を誇らしく思っていることは知っている。
欧米に植民地支配されていた世界中の国には、それぞれ独立運動があるはず。
でも、「韓国だけは特別」というのならその理由を知りたい。
自国の独立運動を「世界普遍的な民主主義・共和主義・平和主義運動の視点で見直す」という国は韓国以外に聞いたことがない。
話がそれるけど、パク教授の視点はとっても斬新だ。
「長い歴史を持つ国は一時的に外国が強制的に占領しても『独立』という表現を使わない」と、あの時代でも、日本によって韓国の独立は奪われていなかったと主張している。
それはいいけど、それでいいのか?
韓国がずっと独立国だったとしたら、日本の植民地支配を前提にしていた補償問題をふくめて、いまの日韓関係が全てひっくり返ってしまうぞ。
でもこの会議で大事なことは“愛国気分”。
韓国人としての自尊心を満たさればいいようだから、細かいことはたぶんどうでもいい。
三・一独立運動の始まりとなったソウルのパゴダ公園には、独立宣言書を読み上げた「孫 秉熙(ソン・ビョンヒ)」の像がある。
韓国では英雄。
でもこの公園へ行ったとき、一緒にいた韓国人にこの像のことを聞いたら「知りません」と一蹴された。
さて、「100年前の韓国人は自由・平等・主権・平和のために行動する世界市民だった」という韓国的発想にならって、日本人の我々もホルホルしちゃいましょう。
三・一独立運動が起きた1919年に、日本も世界市民らしい振る舞いをした。
それが国際連盟で大日本帝国が主張した「人種的差別撤廃提案」。
国際社会の場で人種差別撤廃を世界で初めて訴えたのは日本だった。
この意義は欧米人のほうが分かるかもしれない。
フランス人は「フランス革命で自由・平等を勝ち取った」と言います。私が、「日本だって第一次世界大戦の後に、人種差別撤廃条約の提案をしたのよ」と言うと、若い学生たちは皆一様に驚きます。
「意外に日本人だけ知らない日本史 (デュランれい子)」
人種差別撤廃は21世紀では常識になっている。
でも、帝国主義が常識だった100年前の国際社会では、この考え方は受け入れられないほど非常識なものだった。
結局、日本の提案は拒否された。
韓国人が「三・一独立運動」を学ぶように、日本人も「人種的差別撤廃提案」について知るべきだ。
これは現代の感覚でも「世界市民」にふわしい。
でも、こういう歴史は日本人もあまり知らないのが超残念。
ぶっちゃけ、今回の記事で読者に知ってほしかったのは三一独立運動よりむしろこっち。
たまには“謙虚な日本人”をやめて、自国の出来事を世界史にしようとする韓国人の大胆さを見習ってもいい。
よかったら、こちらもどうぞ。
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