はじめの一言
*新渡戸稲造の著書「武士道」について
「この『大和心』こそ、日本人が最も誇りに思うべき普遍的真理であり、人類社会がいま直面している危機的状況を乗り切っていくために、絶対に必要不可欠な精神的指針なのではないでしょうか(李登輝)」
「日本賛辞の至言33撰 ごま書房」
李登輝(ウィキペディア)
李登輝(りとうき)は台湾の元総統。
日本統治時代(1895年~1945年)に生まれて、京都大学を卒業した。
ブルキナファソ(西アフリカ)の村
前回、「黄金のマリ帝国」と呼ばれるほど繁栄したマリについて書いた。
今回は、その終わりとフランスによる植民地化について書いていく。
もちろん、前回同様、強引に日本と中国の歴史をまじえながら。
始めがあれば、必ず終わりがある。
マリ帝国は、1645年に滅亡した。
もちろん突然崩壊したわけではなくて、少しずつ力を失っていった。
マリ帝国の「終わりの始まり」は、長い間、マリ帝国に優秀な王が出なかったこと。
14世紀の後半からは聡明でない王が続き、そのため従属していた国々が相次いで離反した。
(ウィキペディア)
中央の政府が力を失うことで、地方への統治力も弱くなる。
そうすると、地方にいる有力者は中央の人間のいうことをきかなくなって、独立してしまう。
「離反した」というのは、「独立した」ということだろう。
日本の歴史だと、中央の室町幕府が力を失って、各地に戦国大名が生まれたようなもの。
学校の教室だと、担任の先生の力がなくなって生徒が言うことを聞かなくなり、好き勝手する「学級崩壊」のようなもの。
かもね。
でも、このときマリ帝国が受けた打撃は、これだけではなかった。
また同じ頃、南方のモシ族・北方のトゥアレグ族が攻めてきたために大損害を受け、帝国は衰退していった。
その後もソンガイ帝国庇護のもと地方小国家として続いていたが、1645年に滅亡した。(ウィキペディア)
北から攻められ、南からも攻められる。
まさに泣きっ面にハチ。
内陸国の宿命かもしれない。
「同時に北と南に問題を抱えてしまい、国力を消耗する」
これだと、中国(明)の「北虜南倭(ほくりょなんわ)」だ。
16世紀に明にとって大きな脅威となった外部勢力の侵入をあわせて北虜南倭という。
この両面からの外患は、明にとって頭の痛いことであり、その犠牲も大きく、対策には莫大な費用がかかり、財政を圧迫した。ひいては明の衰退の原因となっていった。
(世界史の窓)
・「北虜」とは、北からモンゴル人に攻撃されたこと。
・「南倭」の「倭」は、日本。
つまり、倭寇(わこう)が襲ってきたということ。
倭寇は、もちろん日本人の海賊。
でも、待ってほしい。
倭寇というのは、決して日本人だけじゃない。
じつは、ポルトガル人もいた。
このことについては、次回に詳しく書きたい。
無能な王しかいなかったり北や南から襲われたりして、マリ帝国は力を失っていき、1645年に滅亡してしまう。
一方、日本ではそのころ(1635年)、徳川家光によって「参勤交代」が制度化されている。
日本は滅亡どころか、この後「パックス・トクガワーナ(徳川の平和)」とも呼ばれる長い平和な時代を迎えることになる。
マリでは、フランス人の観光客が多くいる
現在のマリの公用語は、フランス語。
これは、マリがかつてフランスの植民地だったことをしめしている。
1892年にフランスの植民地となり、フランス領スーダンと呼ばれた。 (ウィキペディア)
このフランス語のせいで、マラリアの薬を買うのがどれだけ大変だったか・・。
マリは1892年にフランスの植民地となった。
そのころ日本は、1894年に日清戦争で清と戦っている。
この戦いに勝利したことで、日本が外国の植民地にされることは、かなりなくなったといっていいだろう。
この後の日露戦争で負けていたら、どうなっていたか分からないけど。
日清戦争のときの清軍(北洋艦隊)の軍服
清軍の旗
マリがフランスから独立したのは、1960年。
はい、世界史を習っているみなさん、1960年ってどんな年だっけ?
「アフリカの年」だったね。
19世紀までにヨーロッパ列強によるアフリカ分割が進み、植民地とされていたアフリカ各地で、第二次世界大戦後に独立運動が活発になり、1960年前後に一斉に独立を達成した。
特に17カ国が独立した1960年を「アフリカの年」といっている。
日本ではそのころ、なにがあったか?
1960年には、安保闘争が起きている。
そしてその4年後には、 東京オリンピックが開催された。
ちなみに、1960年に国内で起きたちょっとした出来事はこんな感じ。
・興和が胃腸薬「キャベジンコーワ」を発売。
・夕刊紙「東京スポーツ」が創刊。
・タカラが「ダッコちゃん」発売(180円)。大ヒットする。
・森永製菓が日本初のインスタントコーヒーを発売。
・日本でカラーテレビの本放送開始
・朝日新聞社などにより、教育設備助成会(現・ベルマーク教育助成財団)設立(ベルマーク運動の始まり)
以上は、ウィキペディアから。
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