-
「あのさあ、ガンディーのやり方が、ヒトラーやポル・ポトにも通じたと思う?」①~イギリスのインド支配 前篇~
・ナチスやポル・ポト政権側の反対者への見方 ナチスやポル・ポト政権の支配下では、ユダヤ人やカンボジア人は、いつ命を奪われるか分からないような苦しい生活をさせられていた。 特に、アウシュヴィッツの収容所やツールスレン刑務所では、考えら... -
11月の投稿
旅に出たら人は変わる?という質問 インドで変わってしまった人 世界で日本とインドだけが行うこと ~平和について①~ インド人「戦争はしてはならない。だから核兵器は必要なんだ」~平和について②~ キューバ危機とその後のデタント~平和につい... -
カンボジアで「徒然草」~ポル・ポト政権下のカンボジア人④~
・「死は、急にやってきた」 ガイドのそんな言葉を聞いて、ふと「徒然草」の言葉を思い出した。 兼好法師(吉田兼好)は、徒然草の中で「死は、前からではなく、後ろからやって来る」と書いている。 むかし学校で習った「徒然草」を確認しておこう... -
死は、後ろからやって来る ~ポル・ポト政権下のカンボジア人③
「写真を撮ってください」 カンボジア人の日本語ガイドと一緒に、ツールスレン虐殺博物館を歩いているときに何回か言葉をかけられた。 ツースルレンは、歩いているだけで、息が苦しくなる。 ここで起きたことは、遠い過去ではない。 ほんの40年前の... -
そしてカンボジアは、地獄と化した「トゥールスレンとキリングフィールド」~ポルポト政権下のカンボジア人②~
はじめの一言 「この町でもっとも印象的なのは(そしてわれわれ全員による日本での一般的観察であった)男も女も子どもも、みんな幸せで満足そうに見えるということだった。(オズボーン 幕末)」 では、ポルポト派の支配下にあった... -
このクモ、食べないとダメですか?~ポルポト政権下のカンボジア人①~
そのときは、カンボジアの首都プノンペンからバンルンという街に車で移動していた。 車内にはボクをふくめて4人のカンボジア人がいて、そのうちの一人が英語を話すことができた。 その人がもっていたのは、英語の力だけではない。 ボクのカ... -
ナチス政権下のユダヤ人② ~「アンネの日記」から~
アンネ・フランク(ウィキペディアから) アンネが住んでいたオランダのアムステルダムでは、ユダヤ人を見つけては、収容所に送るという「ユダヤ人狩り」が行われていた。 収容所に送られたら、そこで殺されてしまうことになる。 そのため、... -
ナチス政権下のユダヤ人①水晶の夜事件とアイヒマンの最終解決
インドで会った長期旅行のおっさんに「ガンディーの『非暴力・不服従運動』って、ポル・ポトやヒトラーにも通じると思うの?」と聞かれたけど、「ぐぬぬ」と答えられなかった。 そこでそのことを考えてみたいと思う。 ガンディーの「サティヤグラハ... -
こんな旅人が「キライ」です・ボクが尊敬する「バックパッカー」川口慧海
はじめの言葉 「語るに友なし折々聞ゆるは猛獣の声、ただその前面を流るる水の音と明月とが私の旅中の困難を慰めるという次第。(チベット旅行記一 川口慧海)」 ボクが尊敬する「バックパッカー」川口慧海(えかい)。 河口慧海 1866... -
インドでガンディーは尊敬されてる→マウリヤ朝のアショーカ王だな。
「インドで一番尊敬されてる人は誰?」とインド人に聞けば、「ガンディーだよ」という答えが当然返って来るものだと思ってた。 でも、コルカタでは違った。 それで、今度は、場所と人を変えて聞くことにした。 インドの北部のパンジャーブ州に行っ...