そのときは、カンボジアの首都プノンペンからバンルンという街に車で移動していた。
車内にはボクをふくめて4人のカンボジア人がいて、そのうちの一人が英語を話すことができた。
その人がもっていたのは、英語の力だけではない。
ボクのカタカナ英語をなんとか理解しようとしてくれる、海のように広い心をもっていた。
そのおじさんのおかげで、それほど退屈しないですんだ。
バンルンへの途中、休憩のために食堂にたちよる。
日本でいうサービスエリアだ。
英語を話すおじさんとご飯を食べることになった。
そこは田舎の食堂で、メニューにはカンボジア語しかない。
ここでカンボジアおじさん大活躍。
この人の通訳がすごく助かった。
すると、一人の物売りが皿に大量の黒い物をのせて歩いて来る。
「あれは何だろう?」
そう思って近づいて見てみたら、びっくりした。
「うわ、クモだ!」
タランチュラのような大きなクモの揚げ物が山のように積まれている。
そのクモはいらないけど、写真は撮りたい。
お兄ちゃんに「ちょっと動かないでくれ」と、ジェスチャーで伝えるけどその兄ちゃんには伝わらない。
ボクに何か言っているけど、さっぱり分からない。
すると、英語のおじさんが登場。
ボクに声をかける。
「何匹欲しいんだ?」
いや、そうじゃない。
クモを食べたいんじゃない。写真を撮りたいだけなんだ。
おじさんがそれをその兄ちゃんに伝えてくれた。
おかげで、バッチリ写真を撮ることができた。
テーブルに戻ると、おじさんが話しかけてくる。
「驚いたか?クモのフライはビールによく合うんだ。日本にはないのか?」
「山盛りクモフライ」ですか?
帰国したらガストに聞いてみますよ。
というより、「ビールのおつまみにクモ」という組み合わせがあるんですね。
地球や広いや。
おじさんと話をしていると、店のウェイターの兄ちゃんが近づいてくる。
そして、クモの揚げ物がのったお皿をボクの前にゴトンと置く。
「え?これは何だ?」
英語を話せないウェイターは、笑顔を見せて去って行ってしまう。
まさか、これを食べろってことか?
おじさんもボクに笑顔を見せる。
「スナックみたいなもんさ。おいしいぞ」
スナックですか。
おいしそうな響きですけど、ノーサンキュー。
「どうした?少しだけ食べてみろよ。カンボジア人はこれが大好きなんだ」
え?食べなきゃいけないんですか?
迷ったけど、クモを食べるのは無理。
「すいませんが、『これは、いりません』と店の人に言ってください」
「何だ、食べられないのか」と、おじさんが苦笑いしをしてから店の人に話してくれた。
そして、おじさんがボクの方に向き直して言う。
「それは店からのサービスだそうだ。タダでいいぞ」
おい、おっさん、「値段を聞いてくれ」なんて頼んでないだろ。
ちゃんと伝えてくれよ。
これならいい。
「おまえが外国人だから、サービスだってよ」
これが、カンボジアの「おもてなし」ですか?
でもノーサンキューだわ。
店の兄ちゃんに、「これはムリだよ」という顔をしてみたけど、兄ちゃんは親指を上に上げてニヤリとするだけ。
やっぱり、「食え」ってことか?
皿の上のクモとにらめっこをしていたけど、やっぱりムリ。
結局は、英語のおじさんがおいしくいただいてしまった。
今から考えたら、もう二度とない機会だったかもしれない。
もったいなかったか?
やっぱ、ムリだわ。
その後、ヒマつぶしにおじさんと話をしていると、ポル・ポト時代の生活に話がおよんだ。
その時代、おじさんは16、7歳だったという。
「そのときは家族と別々されて、同じ年代の人たちと一緒に生活をさせられたよ。毎日が地獄だった。食べる物がなくていつも、腹をすかせてた。朝から夕方までずっと農作業をやらされていたけど、食べ物はいつもほんのちょっとのお粥だけ」
「休みは週に何日かあったんですか?」
「休み?そんなのあるわけないだろ。一年中、農作業するか疲れて寝ていただけだよ。娯楽なんてものもない。まわりの人と話をしただけで殴られたんだ。私語は禁止されていたからな」
これは、ヒマつぶしで聞いていい話じゃないな、と思ったけど、おじさんは話を続ける。
「その後やっと解放されたけど、父親がどこに連れて行かれたか分からなかった。今でも分からないままだよ。父親の骨を見つけて塔を建てられたら良かったな、と今でも思うよ」
その時代を生きた人間だけあって、ポル・ポト時代の様子が説得力をもって伝わってきた。
そして、「そのポル・ポトがどんな時代だったのか?」ということを知りたくなった。
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