モンゴル人の誇り、英雄チンギス・ハーン
モンゴル人にとって、史上最大の帝国を築いたチンギス・ハーンは、まさに国民的な英雄。だから、首都ウランバートル郊外にある空港は彼にちなんで、「チンギス・ハーン国際空港」と名付けられた。
数年前、日本の漫画家がそんな偉人の顔に男性器を描いて、モンゴル人を激怒させたことは記憶に新しい。
朝青龍が「謝れ!」と激怒 モンゴル人はチンギス・ハンをどうみる?
この件について知人のモンゴル人留学生に意見を聞いたら、「天皇の顔に同じことをされたら、日本人はどう思う?」と言われて沈黙した。
彼らにとってチンギス・ハーンは「神聖な存在」らしい。
彼女は静岡の大学で学んでいて、多くの留学生と付き合っていた。そんな国際交流を通じて、さまざな文化を知り、多くの知識を得ることができた。日本人とベトナム人からは、意外な歴史をおしえてもらったという。
世界を震え上がらせた「無敵」の騎馬民族
12世紀、中央アジアに現れたチンギス・ハーンは、バラバラだった遊牧民をまとめ上げ、モンゴル帝国を建国した。
彼らの強さの秘密は、圧倒的な「スピード」と「武器」にあった。
馬に乗って移動する彼らの進軍速度は、当時のヨーロッパの常識をはるかに超えていた。さらに、合成弓という強力な弓を使いこなし、遠くから敵をなぎ倒した。
モンゴル軍は誰も止められない「無双状態」となり、東ヨーロッパから東アジアまでを支配下に置いた。
日本で知った「元寇」という二度の敗北
先ほど登場したモンゴル人は学校でそんな歴史を学び、先人たちを誇りに思っていた。しかし、日本に留学した彼女は、そこで思いがけない話を聞くことになる。それが、13世紀に起きた「元寇」だ。
当時、モンゴル(元)は高麗とともに二度も日本に攻めてきた。しかし、鎌倉武士たちの必死の抵抗と、「神風」と呼ばれる暴風雨によって、日本軍は元軍を撃退して祖国を守った。
彼女は、モンゴル帝国が史上最大の国であることは知っていたが、細かい範囲までは知らなかった。そのとき初めて、「東は朝鮮半島まで」ということを知り、二回連続で日本軍に負けてことにすこしショックを受けた。
屈辱的な歴史のせいか、学校では元寇についてまったく学ばなかったらしい。
ベトナムでも三戦全敗
祖国の輝かしい歴史において、「汚点」があったことを知ったのはこのときだけではなかった。
同じ13世紀、元は南のベトナム(陳朝)にも3回遠征している。
陳朝の第3代皇帝・陳仁宗(ちんじんそう)は、元の強大さに恐怖を感じ、一度は降伏を考えた。しかし、名将・陳興道(ちん こうどう)が「戦わないで降伏するくらいなら、私の首を差し出せ!」と徹底抗戦を主張した。仁宗はこの力強いことばを聞いて、元と戦う決意を固めたという。
1288年の「白藤江の戦い」で、陳興道が率いるベトナム軍は驚くべき戦法を使う。
川底に鋭い杭を打ち込んだあと、モンゴル艦隊をそこへおびき寄せ、引き潮を利用して動けなくなったところに攻撃をしかけ、全滅させた。
想像の斜め上をいく戦法で、相手を翻ろうするのはベトナムのお家芸だ。20世紀にも、アメリカ軍がこれに苦戦した。
このほかの戦いでもベトナム軍はモンゴル軍に勝ち、日本と同じく祖国防衛に成功した(モンゴルのベトナム侵攻)。
「最強軍団」が負けた納得の理由
「世界最強」と信じていた祖国が、日本に二度、ベトナムに三度も負けていた事実は、彼女にとってなかなかの衝撃だった。しかし、ご先祖が海戦で敗れたということには納得。
モンゴル軍の本領は、あくまで広い大地を駆け抜ける陸上戦にある。陸上戦では「無敵」だった騎馬民族が、その長所を封じられたら当然そういう結果になる。
むしろ彼女には、「自分たちの先祖が船の艦隊で遠征していた」ということが意外だった。

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