日本の歴史はおそろしく長いが、「日本人」という意識はじつは新しい。
かつて日本列島に「バラバラ」に住んでいた人たちが、どうやって同じ「日本人」としてまとまったのか?
明治時代にダイブして、その歴史をみていこう。
「人間」と「教育」
「人は人によって人になる」なんてコトバがある。
実際、社会で生きていく人間になるには、適切な教育を受けなければならない。それは、過去の「野生児」の記録が示唆している。
日本列島に初めて人間(現生人類:ホモ・サピエンス)がやって来たのは、約4万年前の旧石器時代と考えられている。
この「現生人類」(ホモ・サピエンス)が日本人のルーツだ。
旧石器時代が終わると、縄文、弥生、古墳、飛鳥と時代は流れていく。日本列島には気の遠くなるほど前から人間が住んでいたが、彼らが自分たちを「日本人(国民)」と意識するようになったのは、歴史で見れば「最近」のことだ。
江戸時代までの「国」は「藩」だった
19世紀後半、日本は西洋列強から独立を守り、不平等条約を改正する必要にせまられていた。そのため、政府はバラバラだった人々を一つの「国民」にまとめ上げようとした。
幕末の日本には、約300もの「藩」が存在していた。江戸時代の人々にとって、自分の国とは「薩摩」や「長州」といった藩のことで、忠誠を誓う相手は大名(殿様)だった。
今の日本でいう「外国人」という言葉は、当時は「他国者(たこくもの)」といって、自分と違う藩の出身者を指していた。
同じ日本に住んでいても、言葉や風習、文化は地域ごとに大きく異なっていて、現代のような「一つの国に属する仲間」という意識はほとんどなかった。国民という概念や自覚は、当時は「ゼロ」に等しい。
西洋列強の脅威が生んだ「日本人」
しかし19世紀になると、国際環境は一変し、そんな意識ではいられなくなる。欧米諸国がアフリカやアジアの各国を植民地にして、東アジアへ進出してきたからだ。
幕末から明治の人々は「次は日本が奪われるかもしれない」という危機感を共有し、それが「日本人」としての自覚を生み出す土壌になった。
さらに明治政府は、不平等条約に苦しんでいた。この状況を打破し、独立を維持するためには、国力を高めて「強い国」になるしかない。
人びとが「国=藩」という江戸時代の価値観のままでは西洋に対抗できないと考えた明治政府は、政治的な戦略として、この国に住むすべての人を「日本人」に統合しようと考えた。
天皇を中心としたアイデンティティの統一
人々の意識を一つにまとめる「柱」、つまり日本人の最大公約数は今も昔も「天皇」だ。
政府はその権威に注目し、1870年に「大教宣布の詔(だいきょうせんぷのみことのり)」を出し、神道を国教と定めた。
天皇を神聖な存在とし、日本神話に基づく国の物語を共有させることで、民族的なアイデンティティを形成しようとしたのだ。これは政治的に「日本人(日本国民)」をつくり出そうとした。
明治の日本は西洋諸国をモデルに近代化を進めていた。西洋ではキリスト教によって国民がまとまっていたため、日本も神道や天皇を中心とした仕組みを構築しようと考えた。
これによって、かつての「武士」や「百姓」といった身分の壁、そして「藩」という地域の壁を取り払い、全員が「天皇のもとに等しい国民である」という教育が徹底される。
意図的に「創造」された国民意識
このほかにも、政府は共通の言語(標準語)を定め、義務教育や徴兵制を通じて「自分たちは同じ国に所属する国民である」という意識を育てていった。
現代の日本人が当たり前に持っている「日本人」という自己認識は、自然に生まれたわけではない。政府によって意図的に国民が「創造」されたのだ。
昭和になると、その考え方を軍国主義に利用されてしまったけれど。
世界の歴史を見ればこれは一般的で、おかしいことではない。21世紀でも、学校で国旗を見ながら国歌を歌う国は、アメリカや中国をはじめ世界中にある。加減の問題で、「国家のために喜んで死にます!」と言わせるように洗脳してはいけないが、当時はアイデンティティの統一が必要だった。
明治日本は憲法と国会を持つアジア初の近代国家となり、独立を守り通すことに成功した。日本列島に住む人たちのバラバラだった意識を統一し、「日本人(国民)」にまとめ上げなかったら、そんな奇跡を起こすことは不可能だった。

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