板海苔の誕生は偶然? セレンディピティが生んだ日本の食文化

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セレンディピティ:思わぬ発見

思いがけず訪れた幸運を 「もっけの幸い」という。
「もっけ(物怪)」とは妖怪のことで、人にやさしい妖怪と出会う意外性から、こんなことばが生まれたらしい。

こういうことは世界中で起こる。
ふとした偶然から、素晴らしい発見をすることを英語で「セレンディピティ(Serendipity)
」と呼ぶ。
スナック菓子の「カール」や、日本の食卓に欠かせない「板海苔」もその一つだ。これから、その誕生秘話を探ってみよう。

カールの形は偶然の産物

日本の国民的な菓子「カール」も、そんなセレンディピティのひとつ。
1960年代、明治製菓がアメリカのスナック菓子をヒントに、日本初のスナック菓子作りを始めた。
「カール」の特徴は、何といってもあの丸っこいカタチにある。それが誕生したのは「たまたま」だった。菓子を開発中、生地が丸まってノズルから落ちたものが「いい形」に見えたため、それがそのまま製品として採用されたのだ。
商品名のカールは「curl(巻く)」に由来するのだが、商標登録の関係で「karl」となった。

 

江戸時代、品川でおこなわれた海苔とり

生類憐れみの令と海苔の意外な関係

日本人の食生活に欠かせない「海苔(のり)」もセレンディピティの産物だ。

海苔そのものは、奈良時代から食べられていた記録がある。しかし、今の板海苔が生まれたのは江戸時代、1685年に将軍・徳川綱吉が「生類憐れみの令」を出したころだ。
「この世に生きるものは、すべて大切にしないといけない」という綱吉のやさしい思いから、犬や猫のほか、鳥、魚類、貝類、昆虫も保護の対象となった。

この法令によって、浅草近辺での漁業が禁止されてしまった。かといって、江戸時代の漁師が幕府に抗議ことはできず、浅草の漁師は別の場所に移動して仕事を続けることにする。

紙すき技術の応用で生まれた板海苔

漁師の野口六郎左衛門はある日、杭に多くの海苔が付着していることに気づく。彼はそれを見て、当時浅草で盛んだった「紙すき」の技術を応用することをひらめいた。

ノズルから落ちたお菓子を見て、「この形よくね?」と思った明治の商品開発部の人と同じだろう。

こうして誕生した「浅草海苔」が、現在の板海苔のルーツだ。もし「生類憐れみの令」と「紙すきの技術」がなかったら、今の板海苔は存在しなかったかもしれない。

セレンディピティを引き寄せるには?

板海苔の発見は、野口が杭の海苔にたまたま注目したことから始まった。
それまでもたくさんの人が同じ光景を見ていたと思われるが、そこで何かをひらめいたことで彼は歴史に名を残した。
他人がスルーするような小さな「異変」に気づく着眼点こそ、セレンディピティを引き寄せるために最も大切な要素だと言える。

 

 

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この記事を書いた人

今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。
また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。

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