【天気予報と戦争】欧州で研究が始まり、日本では明治から

 

おっ、今週は雨が降るらしい。
ということは富士山には雪が積もるだろうし、さらに土曜日は快晴のようだから、きっとスバラシイ富士山をおがめるに違いない。

この前の日曜日、天気予報を見てそんなことを思ってハイキングの計画を立てたのに、実際には意外と富士山の雪が少なくて、ただいま考え中。
こんなふうに現代人の日常ライフには欠かせない天気予報が、太平洋戦争の時には日本から消えていた。

雨・風・雪などの気象条件によって攻撃作戦は大きく左右されるから、日本はアメリカに有利な情報をもたらさないよう、ラジオや新聞で天気予報を伝えないことにした。
米軍が1945年3月10日に行った東京大空襲で、たった一晩で10万人以上を殺害できたのも、事前に米軍が風や空気の乾燥ぐあいを事前に把握していたから。
台風なら爆撃機を飛ばさなかっただろうし、雨の日なら焼夷弾を用いた攻撃は採用しなかったはず。
ある意味、天気を正確に予測できたから、とっても“効率的に”日本へダメージを与えることができたわけだ。
*一度の空爆で出た犠牲者の数は、東京大空襲が人類史上最大。

13世紀の元寇ではモンゴル軍は天気を読めなかったから、暴風雨で船は海底に沈められたし、それが可能になった20世紀の戦争ではもはや神風が吹くことはなかった。

この大空襲に日本は怒り心頭で、日本のラジオや新聞はこれを「虐殺」、「東京大焼殺」と呼ぶ。
作戦を指揮した米軍のルメイを「下劣な敵将」、「嗜虐性精神異常者」とののしり、「われわれはどうあつてもこのルメーを叩つ斬らねばなるまい」と書く。
当時のメディアの役割はこうして国民をあおって戦意を高揚させることで、天気予報のような正確な情報は伝えられなかった。

 

サイパンやグアムから飛び立った米軍の爆撃機はまず富士山を目指し、そこから右へ行けば東京、左なら名古屋になる。

 

東京大空襲の直後。

 

「夕焼けの次の日は晴れ」とか「ツバメが低く飛ぶと雨」といった経験則ではなくて、科学をベースにした本格的な天気予報は日本ではいつから始まったのか?

1883年(明治16年)に福沢諭吉が主宰する時事新報『時事新報』で、初めてこんな天気報告が掲載された。

「天氣ハ一般ニ陰天ニシテ日温暖ナリ北方二三ノ測候所ニ於テハ雨雪ヲ降ラシ南東部ハ快晴ナリ」

でも、実はこれは数日前のもの。
まだ天気を予測できる知識や技術がなかったから、この時は「天気報告」という形で天気の情報を国民に伝えただけ。

いや、過去の天気を言っても意味ないじゃん…。というのは21世紀の感覚で、福沢諭吉はこれを掲載することで、米相場の抜けがけがなくなり航海にも役立つと考えた。そして国民がもっと天気を意識することで、先を見て行動するよう期待した。
つまりこれは、諭吉さんによる日本人の意識改革だ。

日本で初めて天気予報が発表されたのは1884年(明治17年)で、それはこんなとってもシンプルなもの。(気象庁の歴史

「全国一般風ノ向キハ定リナシ天気ハ変リ易シ但シ雨天勝チ」
(全国では風の向きが定まることなく、天気は変わりやすい。ただし雨天がち)

この一文で日本「全国」の天気を予想するとか、大ざっぱにホドがあるけど、天気予報の歴史が始まったころの日本ではこれが限界。
当時は精度が悪くて予想が当たらなかったから、日露戦争では弾除けのおまじないとして「天気予報」と書いたお守りが兵士の間で流行ったという。

 

人類がホンキで天気を予測しようと考えたきっかけはクリミア戦争(1853~56年)。
この戦争中、暴風に見舞われたイギリス・フランスの連合艦隊が壊滅的なダメージを負い、フランスは大きな衝撃を受ける。
13世紀の元寇状態だ。
これで暴風を予測しようとフランスが研究を開始したことから、現代につづく天気予報が始まった。(天気予報

世界で初めて天気図を作成したのはフランスかイギリスかよくワカランが、とにかくクリミア戦争から近代的な天気予報が生まれたことは確かだ。
そして国民に天気予報が知らされなくなるのは、人類にとっては不幸フラグになる。
でも、科学がさらに発展した2022年のいまでは、ウクライナでは国民に天気が伝えられているし、ようやく天気予報は戦争と縁を切ることができた。

 

 

日本 「目次」

ヨーロッパ 「目次」

【世界は終わった】スペインのゲルニカ爆撃と東京大空襲

【日本の天気予報】日和見→戦争のお守り→韓国人の称賛

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。