知人のドイツ人が日本の大学に通っていたころの話。
あるとき彼が研究室にいると、「これ食べる?」と日本人の友人からお菓子をもらった。
それは甘いクラッカーで「その味どう?」と聞く友人に、「おいしいね。ボクは好きだよ」と答える彼。
何てお菓子かたずねると、「それはプリッツ。日本のプレッツェルだよ」と友人が言うから、「だよね。こんな棒状の甘いお菓子は絶対プレッツェルだとおm…、思うかー!こんなんプレッツェルちゃうわー!」と彼は心底驚いた。
そんな内心の混乱には気づかず、友人は「ドイツと同じ?」と無邪気な質問をする。
なんで彼はビックリしたのか?
そもそも本場のプレッツェルとはどんなものなのか?
ドイツ生まれのパン「プレッツェル(Brezel)」というドイツ語は、「腕(小さな腕)」というラテン語に由来する。
この独特な形が表しているのは「神への祈り」。(トップ画像を参照)
キリスト教の信者は神に祈るとき、胸の前で腕を交差させて右手が左肩、左手は右肩に触れるから、プレッツェルの形はそんな祈りのポーズを示しているという。
ヨーロッパに比べれば、日本におけるパンの歴史はまだまだ浅い。
パンそのものは、戦国時代にやってきたヨーロッパ人によって伝えられたけど、日本人では1842年に 江川 英龍(ひでたつ)が初めてパンを作った。
それでいまでは、彼はパン業界で「パン祖」の地位をほしいままにしている。
日本人がパンを焼き始めてから、まだ180年しか経っていないのだ。
「焼きたてパン」と書いてあるように、日本の(グリコの)プレッツェルもパンをイメージしていることは間違いない。
でも知人の感覚だと、プレッツェルとは腕組みをしているようなあの独特の形を意味しているから、棒状のプリッツはプレッツェルとは思えない。
それに彼が子どものころから食べてきたドイツのプレッツェルは、柔らかくて塩味というのがスタンダード。
ドイツで秋に開催される世界最大のビールの祭典・オクトーバーフェストで、プレッツェルは「定番オブ定番」のおつまみで本当にビールとよく合う。
なのに日本のプリッツは固くて甘いし、ドイツのプレッツェルとは完全に逆転している。
だから彼からすると、これはフツウにおいしいクラッカーだけど、断じてプレッツェルじゃねえ。
まだ本場を知らなくて「ドイツと同じ?」と質問をする日本人に、プレッツェルの写真を見せると「全然ちがうじゃん!」と立場が入れ替わった。
これを食べて「プレッツェル」に気づくドイツ人はおそらく皆無。
ではここで日本のプリッツの歴史を見てみよう。
1950年代にグリコの社員はピーナッツやおかきとは違う、新しいおつまみを開発したいと考えていた。
そんな時、出会ったのがドイツのプレッツェルです。
ドイツにそんなおつまみがあるという情報をゲットしたグリコは、プレッツェルから名付けた「プリッツ」という新商品を1962年に世に放つ。
でも、売れ⾏きはイマイチ。
*アメリカでは棒状のプレッツェルがよくあるから、グリコはそれを参考にしたかも。
不振の原因を調べると、グリコはビールのおつまみとして売り出したのに、実際にはお菓子として⼩売店で販売されていて、⼤⼈ではなく⼦どもたちが買っていることが判明。
そこでターゲットを子どもにしぼって、おやつとして楽しめる⽢いプリッツをつくることにした。
1963年に「バターたっぷり、⽢いスティック」を売りにした「バタープリッツ」を販売したところ、想像を超える売れ⾏きで品切れ続出の巻。
ちなみにグリコは1984年に再挑戦して、ビールのおつまみとして「ビアプリッツ」を発売した。
くわしいことは プリッツの歴史で。
「ビールのおつまみ」というドイツのプレッツェルに近い路線を放棄して、「⽢いスティック」を原点にしてプリッツが発展していったから、「こんなんちゃうわー」とドイツ人が驚くことになる。
カレーとかバウムクーヘンとか、日本人の日本人による日本人のための商品づくりに没頭した結果、本家の国の人間がビックリする現象はこの島国ではよく起こる。
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