外国語を学ぶ人にとって覚えやすいのは、母国の言葉が由来になった言葉。
たとえば、日本語の「少し」を語源とする「skosh」という英単語があるから、シカゴからやってきたアメリカ人は「少し」という日本語をすぐに覚えてしまった。
「skosh(スコーシ、スコーシュ)」の意味は「少し、わずか」だから日本人にも分かりやすい。
【英語になった日本語】アメリカの「skosh」の意味と使い方
これと同じ理由でロシア人なら、「ノルマ」という日本語をすぐに会得できるはず。
1941年12月8日、日本軍が真珠湾攻撃(とマレー作戦)を行なって太平洋戦争がはじまる。
そして45年8月15日、二度の原爆投下を受けた日本は降伏を宣言すると、アメリカやイギリス軍は戦闘を停止して太平洋戦争は実質的に終わった。
でも、北方では地獄が始まる。
日本がギブアップしたにもかかわらずソ連軍は攻撃をやめなかったから、中国東北部(満州)では、多くの女性や子供を含む1000人以上の日本人が虐殺される葛根廟事件などの惨劇が起こった。
そして投降した日本兵や民間人(女性もいた)はソ連の捕虜となり、シベリアなどに連行され、強制労働をさせられる。
このシベリア抑留では約60万人の日本人が連れ去られ、地面も凍る極寒のなかで栄養分の無い粥(かゆ)をすすり、まともな休みも与えられずに厳しい労働を強いられて、約6万人が死亡した。
そんな地獄を生き延びた野村定男さんはNHKの番組でこう語る。(2018年8月16日)
病院ではね、凍っている死体をね、素っ裸のままを猫車に積んでいるんです。それを見て思ったんです。こんな所で死んでたまるか。絶対生きて帰らないといけないと、一生懸命になってね
太平洋戦争がはじまってちょうど5年目、1946年12月8日に、約5千人のシベリア抑留者を乗せた船が京都の舞鶴港に到着した。
ただこれは帰国事業のはじまりで、すべての日本人が戻ってくるまでにはさらに長い時間がかかったし、いまも戻ってこられない遺骨がある。
このときシベリアから戻ってきた人たちは、「ノルマ」という新しい単語も運んできた。
組織の中で、上の人間から科せられた作業量を意味するノルマとは、もともとはロシア語に由来する言葉だったのだ。(ノルマ)
強制労働でロシア人からこの言葉を何度も聞かされて、自然と覚えた日本人が帰国してから広めていき、日常生活でよく使う言葉として定着した。
数万人の日本人が犠牲になった悲しい出来事からは完全に離れて、いまでは日本の会社や学校で「〇〇までに、これだけの仕事(課題)をするように。これがあなたのノルマです」なんてわりと気軽に使われている。
日本にいる知人のロシア人はすぐにこの言葉を覚えることができたが、これが日本語になった背景まで知っているかどうかは分からない。
ちょっとこれは聞きにくい。
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