善意から生まれた行動でも、それに知識がないと、相手にとっては迷惑行為になることもある。
前回、そんな残念なケースについて記事を書いた。
人間関係を築く上で、よく言われるアドバイスに「自分がしてほしいことを、相手にしてあげると良い」というものがある。
しかし、それには限界があることも知っておいたほうがいい。
価値観や好みの違う相手に、自分基準でイイコトをすると、広い意味での「無能な働き者」になってしまうこともあるのだ。
伝統や文化の違う外国人が相手だとなおさら。
千羽鶴を作って送る行為が喜ばれることがあれば、ありがた迷惑になるケースもある。
古代ギリシアの哲学者、ソクラテスは「無知の知(不知の自覚)」という考え方を唱えた。
大事なのは、自分は物事を知らない、無知な人間であることを自覚することだと。
「無能な働き者」も、知識不足が根本的な原因になっている。
今回は、善意でやったことでも知識がなかったため、逆にありがた迷惑になってしまった事例を紹介しようと思う。
◯日本人が台湾人に対して
数年前、知人の台湾人女性が彼氏を連れて、日本へ旅行にやってきたから、ボクが京都を案内することになった。
彼らは台湾で一般的な「一貫道」を信仰していたんで、肉食はNG、素食(ベジタリアンフード)しか食べることができなかった。
その事情は事前に聞いていたから、京都で有名な料理を食べたいと言う彼らに、豆腐をリコメンド。
豆腐としょう油は、台湾でもよく使われる素材だから問題はないはずだ、という思い込みがまさに「無知の知」だった。
出された豆腐料理を見ると、2人は困惑した表情を浮かべ、言葉を失う。
「あの…、実はネギもダメなんです」と言われて、今度はボクが戸惑うターンになる。
自分がすすめた料理を食べてもらえず、1人で3つも食べることになったあの虚しさは今も忘れられない。
◯日本人がドイツ人に対して
知人のドイツ人が日本に住んでいたとき、日本人の友だちから鍋パーティーに招待された。
当日、友だちのアパートに行くと、テーブルには日本のいろんな種類のビールが並んでいた。
「君のために用意したんだ。飲み比べをして、ドイツ人的にどれが一番おいしいか教えてほしい」と友人に笑顔で言われ、彼はすごく気まずそうに「ごめん、ボクはビールが嫌いなんだ…」と言う。
一瞬、その場は無音空間になり、ビールは彼らが責任を持って処理することになった。
納豆や卵かけご飯が嫌いな日本人がいるように、「ドイツ人はビール好き」という一般的なイメージに当てはまらないドイツ人もいるのだ。
◯日本人がイスラム教徒に対して
日本に住んでいたイスラム教徒の女性が、日本人の知り合いからカワイイぬいぐるみをプレゼントされた。が、彼女はそれがイスラム教の「偶像崇拝」のタブーに触れていると思い、一度受け取った後、他人にあげてしまった。
別のイスラム教徒は、ぬいぐるみなら問題ないと言っていたから、このへんのOK/NGの判断は個人によって違う。
動物やアニメキャラのぬいぐるみならまだしも、イスラム教徒にこういうリアルな人形をプレゼントするのきっとマズい。
価値観や文化の違いから、善意のプレゼントが逆にありがた迷惑になることは、人間関係だけなく、国と国の間でも起こる。
北朝鮮のトップだった金正恩氏が2019年に、ロシアのプーチン大統領に朝鮮の刀を渡して、「あなたを支持する私と私たち民族の魂の化身だ」と説明した。
しかし、ロシアには、相手に刃物を贈ることは「敵意」を表すという言い伝えがあった。
ロシア人にナイフや刀の贈り物はNGなのだ。
かといって、外交儀礼上、「それは受け取れません。あなたが使ってください」と拒否することはできない。
それで、プーチン大統領は金正恩氏にコインを渡し、「買い取った」という形にして刀を受け取ったという。
西洋ではナイフをプレゼントすると友情が「切れ」てしまうとか、中国では「運気」が落ちてしまうといった迷信があるらしい。(ナイフの贈答を巡る迷信)
自分がされて嬉しいことをすると、相手が嫌がることもある。
外国人に何かをするときには、事前に相手がしてほしいことを確認したほうがいい。
相手の文化や価値観を理解しないで、サプライズプレゼントをすると、思わぬ事態に自分がビックリすることになる。
「無知の知」を唱えたソクラテスさんはやっぱり偉大だった。
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