1944年のきょう11月24日、日本国民にとっては地獄の門が開かれた。
この日、初めて米軍の爆撃機B-29が飛来し、日本本土への爆撃が行われる。
この後、名古屋、京都、大阪、鹿児島、青森などが空襲を受けることとなり、日本の都市は廃墟となった。
3月10日には、10万人以上が犠牲となる東京大空襲があり、そして8月6日と9日に原子爆弾が投下され、日本は力尽きて15日にギブアップを宣言した。
人類史上、初めてとなる核攻撃の被害を含めて、この本土空襲で数十万~百万の国民が犠牲になった。
空襲を受けた後の大阪
戦時中、日本は「米軍をここから先に、絶対に近づけてはいけない」という絶対国防圏を設定
したが、マリアナ沖海戦で負け、米軍にサイパン島を奪われたことでこのラインを突破され、本土への爆撃が可能になる。
歴史の「タラレバ定食」になってしまうけれど、もうこの時点で、日本には奇跡の大逆転は不可能だったと思う。
なぜ、日本はアメリカに負けたのか?
その原因は山ほどあるけれど、その一つに、「日本軍が進化しない組織だったため」ということが挙げられる。
時代や周囲の状況が変化しても、いま自分がいる位置をキープするためには、常にアンテナを高くして新しい情報を得て、それに合わせていく必要がある。それができなければ、没落するしかない。
そんなことをキャッチーに、「変わらないために、変わり続けなければならない」なんて言う。
日本軍にできなかったのがこれだ。日本軍は新しい情報を組織内で共有し、そこから学んで進化することができなかったという。
組織は環境との相互作用を通じて、生存に必要な知識を選択淘汰し、それらを蓄積する。 およそ日本軍には、失敗の蓄積・伝播を組織的に行なうリーダーシップもシステムも欠如していたというべきである。
「失敗の本質 (ダイヤモンド社. Kindle 版) 戸部 良一; 寺本 義也; 鎌田 伸一; 杉之尾 孝生; 村井 友秀; 野中 郁次郎」
1943年11月にタラワ島で行われた戦いでは、日本軍の約4500人の死者を出したことに対し、米軍の戦死者の数は約1000人だった。しかし、アメリカにとってこの損害の大きさは衝撃的で、タラワの戦いを客観的に見直し、失敗からさまざまな教訓を得た。
そのひとつが、海兵隊が上陸する前に十分な砲撃を行わなかったため、日本軍の陣地を弱体化できなかったこと。
米軍はこの反省を踏まえ、その後のクェゼリン島の戦いでは、タラワの戦いの5倍の砲爆撃をおこなう。この戦いでは日本軍に約8000人の戦死者が出たが、米軍では約370人だけ。タラワの戦いと比べると、米軍の「進化」は明らかだ。
もちろん、砲爆撃の量を増やすことは改善点のひとつに過ぎないから、全体的な情報はそれぞれの戦いをクリックして確認してほしい。
日本軍にはこういう学習能力がなかった。
一つ一つの戦闘の経験や知識を蓄積できず、同じ失敗を同じように繰り返し、突撃&玉砕で多くの兵士が死亡した。
組織として常に変わらなかったため、失敗や成功の体験を正確に把握し、そこから教訓を得て変わり続けていた米軍に負けてしまったのだ。
戦後の日本はあの敗戦から、多くのことを学び、新しく平和国家として生まれ変わった(きっと)。
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