東京新聞が今度の選挙について社説(2017年10月9日)でこんなド正論を言っている。
私たち有権者は、各党の公約集を読み比べたり、政党・候補者の訴えに耳を傾けて、大切な票を投じなければいけません。少し面倒でも未来への私たちの責任です。
週のはじめに考える 政治に良識取り戻すため
まさにそのとおり。
それぞれの候補者は、「日本をこれからどうしたいのか?」「そのために、自分は何をするのか?」ということをハッキリ言ってほしい。
そうでないと、有権者はだれに票を入れていいのか判断できない。
法律の範囲内で、自分の言いたいことを主張する。
そんな「表現の自由」は民主主義にとって命といっていいぐらい大事なものですね。
でも困ったことに、そんな表現の自由を認めない、民主主義の敵のような人たちがいるんです。
10月7日付の産経新聞にこんな記事があった。
安倍晋三首相の遊説にヤジや妨害相次ぐ 非公表のはずが…ツイッターで飛び交う日程
記事のタイトルから、内容は想像できると思う。
安倍首相が街頭演説をしようとすると、「安倍やめろ!」「お前が国難だ!」という激しいヤジが飛んでくる。
記事によると、組織的に安倍首相の演説を妨害している。
当たり前のことだけど、安倍首相の演説を聞いている人のすべてが自民党の支持者ではない。
ちなみにいうと、ボクもどの党に投票するのかは決めていない。
首相の話を聞いて「ダメだこりゃ」と思って、別の政党に票を入れる人もきっといる。
それに首相が演説で変なことを言ったら、それを攻撃材料にもできる。
それよりなにより、「安倍首相の反対する人たちはこのレベルか」とガッカリして安倍首相に票を投じるかもしれない。
とにかくどの政党の候補者であっても、主張は自由にさせるべきだ。
そうでないと、有権者はどの候補者がいいのか判断できなくなってしまう。
「お前が国難」とヤジで演説を妨害するというのは安倍首相ではなくて、有権者への妨害活動でしかない。
このことをバングラデシュ人に話してみた。
するとメチャクチャ驚いていた。
「え?本当?日本の首相が演説しているときに、そんなヤジが飛ぶの?」
彼が驚いた理由を聞いたら、今度はこっちが驚いた。
「バングラデシュで、大統領の演説中に『やめろ!』なんてヤジを飛ばす人がいたら、そんな人間はその場で殺されるよ」
は?
話を聞いたら、バングラデシュでは政治家と庶民の距離がめちゃくちゃ離れている。
政治家は本当にエライ。
雲の上のような人。
大統領に「やめろ!」とヤジを飛ばすことは、文字通り万死に値する。
それと、バングラデシュでは政敵を暗殺する事件がよく起こるらしい。
庶民が大統領の演説を妨害するなんて絶対に許されない。
バングラデシュの感覚では、それをしたら殺されても仕方がないという。
そう聞くと、政治家にヤジを飛ばせることがいいことのような気がしてくる。
20代のイギリス人の女の子にも話してみた。
でも、彼女はこの話にまるで興味がない。
「選挙演説を邪魔するのはダメでしょ~」という一般論で終わり。
でも、イギリスにもヤジを飛ばす人間はいるらしい。
だから、特に驚くことでもない。
「どこの国にも、そういうバカなことをする人間はいるでしょ」というていど。
民主主義において表現の自由は本当に大事。
それをあらわす有名な言葉がある。
せっかくだから、ぜひ覚えてほしい。
それは、フランスの哲学者ヴォルテール(1694年 – 1778年)の言葉。
表現の自由の大切さについて、彼はこう言っている。
君の意見に賛成できないが、君が意見を述べる権利は死んでも守る。
これが表現の自由の基本的な考え方だ。
「アイツが言っていることは気に入らない!」と思ったからといって、その発言を止めさせてはいけない。
それをすると民主主義は死んでしまうから。
くり返すけど、これは安倍首相だけではない。
選挙運動で演説する、どの政党の候補者にもジャマをしてはいけない。
「お前が国難!」と選挙妨害をする人と「あなたの意見には反対だ。でも、その意見を述べる権利は死んでも守る」と言う人とでは、人間のレベルが違いすぎる。
「民度」と言ってもいい。
人の演説を下品なヤジで妨害する人間は、この表現の自由が何もわかっていない。
民主主義の敵でしかない。
ヴォルテール(ウィキペディアから)
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選挙演説の時くらいは、昔の憲兵隊のように、「円ぜぜつの邪魔ををする不穏分子」であるとして逮捕してもいいんじゃないですか・ ポリコレ、セクハラ、選挙妨害など、いろいろなあららしい社会規範が世の中に知られるようになって、みんな「臆病」になってるんじゃないですか。