日本発祥の人力車が、アジアやアフリカで歓迎された理由

 

3月24日は「人力車発祥の日」。
文字通り人が車両を引っ張って、乗客を目的地に運ぶシンプルで力強い乗り物。

これは高校日本史でならう大事なものだから確認しておこう。

人力車

人力で引く乗用車。和泉要助らが発明。1870年に官許される。以後、駕籠は急速に衰えた。

(日本史用語集 山川出版)

 

「人に車」の俥の一字だけで人力車を表すこともできる。
1870(明治3)年の3月24日、当時の東京府から人力車の営業の許可がおりて、日本橋で営業が始まった。
それを記念してできたのが「人力車発祥の日」。

この新しい乗り物の登場によって駕籠(かご)は急速になくなっていった。でもこの世はいつでも盛者必衰、諸行無常、万物流転で、蒸気機関車が現れると今度は人力車が姿を消していく。

いまの日本で人力車は京都や東京などの観光地にあるぐらいで、タクシーのような移動手段としてはなくなった。
でも、インドやバングラデシュなどに行くといまでも現役だ。

英語のRickshaw(リクショー)は日本語の「リキシャ」を語源としていて、インドで現地の人は「リキシャー」と呼んでいた気がする。
日本人なら聞けば「人力車」とすぐにわかるし、インドで走っているのを見ると、初めてなのになんか懐かしい。

でもインド人やバングラデシュ人はそのま逆。
母国では小さいころから知っているこの乗り物の由来なんて知らないから、日本に来て初めてそれを知って、「リキシャーが日本語ってマジかっ!」と驚いたというインド人やバングラデシュ人にはこれまで何人か会ったことがある。

でも身近な乗り物が日本発祥だったことより、その料金の違いを知ると、彼らはきっともっとビックリする。
母国では30~50円ほどの人力車の料金が京都の嵐山だと3000円かかると知って、「ケタを間違えたか?」と思ったらそれは事実と判明して、ことばを失ったというインド人カップルもいた。

「人力」の値段の差は日本とインド・バングラデシュではまさに天と地。

 

この三輪タクシーはインドでオート・リキシャーと言われている。
1870年から始まったリキシャ系の最終進化形態。

 

話戻すと日本のメーカーは、アジアや南アフリカなどに人力車を輸出するようになる。
おそらく初めての海外輸出先はシンガポールだ。(日本でうまれてから10年後の1880年)

Many of the poorest individuals in Singapore in the late nineteenth century were poverty-stricken, unskilled people of Chinese ancestry. Sometimes called coolies, the hardworking men found that pulling a rickshaw was a new opportunity for employment.

Rickshaw 

 

19世紀後半のシンガポールで最も最貧だった人の多くは、技術を持たない中国系の人たちだった。
クーリー(苦力)とも呼ばれた仕事熱心な男たちは、人力車を引くことが新しい仕事になることを見つけた。

この仕事なら特別な知識や技能がなくてもできるから、参入へのハードルはかなり低い。
人力車はその国の社会の最貧困層にいた人たちを”救う”道具として、アジアやアフリカなどで活用されるようになる。
このへんの事情は基本的にいまのインドやバングラデシュでも同じだ。

「人力車発祥の日」は日本人が思っている以上に画期的な日かもしれない。

 

マダガスカル(アフリカ)の人力車

 

1922年の日本訪問中、京都で人力車の車夫の衣装を着て記念撮影をするエドワード皇太子とお供の人。
のちのイギリス国王&インド皇帝、エドワード8世である。
なんかビートルズっぽい。

 

 

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1 個のコメント

  • 人力車が登場するまで、日本以外の世界における個人の移動手段と言えば、圧倒的に「馬車」でした。もちろん「乗馬」という手もあったが、それにはかなり特殊な技能が必要なので、馬車ほど一般的ではなかったようです。してみると、江戸時代の「駕籠」でさえも、「人力で人を運搬する」という仕組みは、日本独自の画期的な考え方です。
    ただし「駕籠」はあくまで駕籠かき人足2人で乗客1人を運ぶものですから、労働者を雇う効率が悪かったのでしょう、それで馬車に取って代わるほどのものではなかったか。あるいは人足2人に乗客1人では「物騒だ」という理由もあったでしょう。または、実用的なレベルの「頑丈さ」と「軽さ」を備えた駕籠を作るのが技術的に難しかったとか・・・。
    それが明治になって、「車」を使えば、車夫1人で乗客1人を運ぶのも可能であると日本人が気づいた。それまでの「駕籠」の伝統があったとは言え、つくづくすごい「発明」だと思います。もしかすると「自転車」の発明にも匹敵する価値なのでは?
    その人力車も、今では、エンジンが付いた「オート三輪タクシー」に代わって来ていると言うわけですね。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。