太平洋戦争が終わって、昭和も平成も終わって、令和になったいまでもこうして母国に返ってくるモノがある。
読売新聞(2022/07/23)
ガダルカナル島の日章旗、80年ぶり故郷・郡山へ…遺族「お墓の家族に報告したい」
約4年間のアメリカ軍との戦いのなかで、特に大激戦となった地がソロモン諸島にあるガダルカナル島だ。
この島はオーストラリアから見ると鬼門、つまり東北にある。
16世紀にソロモン諸島を見つけたスペイン人の探検隊の1人が、いまのアンダルシア州にあるグァダルカナルの出身だったから、それにちなんで「ガダルカナル島」と命名されたという。
日本ではシンプルに「ガ島」と言ったり、あの戦いで多くの餓死者を出したことから「餓島」なんて呼ぶこともある。
やっと手に入れた食糧を戦友のもとに届けようと最後の力を振り絞り、背中に米を担いだまま絶命する兵士も現れれば、食糧搬送の兵を襲って米を強奪する兵士も現れる状況になった。
1942年8月から1943年2月まで行われた「ガダルカナルの戦い」に参加して、戦死した福島県郡山市出身の日本兵、宇南山(うなやま )民男さんが所持していた日章旗が先日、アメリカから遺族に返還された。
「武運長久」といった寄せ書きの入った日章旗が80年ぶりに故郷へ戻ってきたことで、遺族は「お墓の家族に、日章旗とともに民男さんの御霊(みたま)が戻ったと報告したい。皆が喜んでいると思う」と語る。
このニュースにネット民の感想は?
・うちの爺様はガ島の生き残り
あまり語りたがらなかったわ
・ダンカン馬鹿野郎
・で、いつの間にか
ガルカナルは中国軍の重要軍事拠点に
全く隔世の感があるな
・一番のハズレクジの戦地だよな、ここ。
地獄のような状況の中、本当にご苦労様でした。
・硫黄島、ルソン島、沖縄、メレヨン、アッツ、ペリリュー、テニアン、サイパン、も忘れないであげて
川を移動する米軍兵
1941年12月8日、日本軍がハワイを奇襲したことであの戦争が始まった。…と、一般的には思われている。
でも、海軍が真珠湾攻撃を行なう約1時間前に、陸軍がマレー半島に上陸してイギリス軍と戦ったから、これを太平洋戦争の始まりと指摘する人もいる。
翌42年にガダルカナルの戦いがあって、結果的に日本軍は約2万人の戦死者を出し、軍艦、航空機、燃料、武器の多くを失う大惨敗となった。
ガダルカナルとは「帝国陸軍の墓地の名」と言われるのも納得の完敗。
これは太平洋戦争の局面を変えたマジでガチで重要な戦いで、アメリカ軍の作戦全体にとってはこんな意味があった。
米国の対日戦略の基本は、日本本土直撃による戦争終結にあった。ただし、中部太平洋諸島の制圧なくしては、米軍の対日進攻はありえないし、航空機の前進基地確保は困難であった。
「失敗の本質 (ダイヤモンド社) 戸部 良一、寺本 義也その他」
ガダルカナル島の戦いに負けた日本軍は、南太平洋戦域の勢力を大きく減退させることになる。
アメリカ軍にとってそれは、「抵抗力」がなくなること意味する。
だからこのあとドンドン北上していき、マリアナ諸島やサイパン島などを攻略すると、アメリカはここに航空機の前進基地を整備し、日本本土への爆撃を本格化していく。そして、広島・長崎への原爆投下で日本はギブアップ。
「硫黄島、ルソン島、沖縄、メレヨン、アッツ、ペリリュー、テニアン、サイパン、も忘れないであげて」の原点はガダルカナルで、この島を落としたことは日本軍にとって「終わりの始まり」だった。
いまでも地面を掘ると日本兵の骨が出てくる。
太平洋戦争の現実①敵は“飢え”。日本兵がフィリピンでしたこと
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